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                                       18 December, 2005

               Once in a blue moon


『Once in a blue moon(ワンスインナブルームーン)』とはソウルはアックジョンドンへある有名なジャズバーの名前である。朝方雪が降り積もり緩やかに冷えるこの日、来韓前から楽しみにしていたライブを見に出かけたのだった。普段慎ましく過ごしている私は、観光地などには滅多に足を運ぶことなどないのだが、この日はソウルでもっとも高級な街、アックジョンドンへと意気揚々と向かったのだった。

そう、この日は他でもない冴木杏奈さんのソウルライブがこのジャズバーにて行われたのだった。冴木杏奈さんといえば、ミスさっぽろの活動をしていた頃から何度となく話に聞いたことのあった伝説の方である。そう、おこがましくも私の大先輩にあたるこの方は、現在タンゴ歌手として世界中でライブツアーを成功させ、いつまでも輝いていらっしゃる素晴らしい方なのである。話には聞けど、実際お目にかかれるご縁などはなかったのだが、今回不思議な縁で、札幌にて仕事で出会ったオンニ(お姉さん)に今回のこのライブのお誘いを受け、幸いなことにお目にかかれることになったのであった。

何しろこの日のライブ会場であるライブバーはアックジョンドンにあるに相応しいほど高級感たっぷりなバーで雰囲気も重厚感があって何とも良かった。ジャズバーといえば、上海の和平飯店のジャズバーは素晴らしくよかったなぁと今思い出す。高級で人を飲み込むような雰囲気がありつつ、どこか退廃的で古めかしい空気とが何とも程よく融合されていて素晴らしかった。あれは本当にそんじゃそこらの高級バーでは比較にならない時代の重厚感を感じたものだ。何より年季ある上海ジャズバンドの演奏は、懐旧の情たっぷりで本当に時間を忘れて聞きほれたものだ。このバンドの演奏にいたく感動した私は、即音楽好きな父にお土産にとCDを買ったほどである。と言っても私は、バーへと足を運んだところで、カウンターでウィスキーなどを嗜めもしないのだが。それでもそんなジャズバーでは、甘めのカクテルを片手に音楽と雰囲気に酔いしれていたい私である。

この日は価格も高級感たっぷりのカクテルを味わいながらライブを観賞したのだった。早めに入ったお陰でステージ真正面でかなりに近い席に座ることができたのはラッキーであった。開演時刻を少々過ぎた頃、ジャズバンドの演奏が始まった。生演奏と言うのはやはり何にも勝る演奏だなと思う。一瞬にして熱のある空気が音と共に伝わってくるのを全身で実感することができる。その空気がたまらなく心地よく飲み込んでくれる感覚にしばし酔いしれてしまう。その後まもなく冴木杏奈さんが登場したのだった。この瞬間ステージに大きな一輪の花が現れたかのような存在感と華に、それはもう目が釘づけになった私だった。

実はジャズやタンゴなどというジャンルはどこか敷居が高いような意識があり、今まで慣れ親しんで聞いたことがなかった私だった。なので、こうしてライブにて聞く感覚はどんなものなのかとどこか肩肘張ってしまった私だったのだが、この伴奏演奏の音楽の素晴らしいこと。その演奏一つだけで聞きほれてしまいそうなほどに旋律が情熱的で情感的で情緒があるのだった。デジタル一辺倒のこの時代にありながら、演奏者の息吹をこうも強く感じられる音楽に久しく触れていなかったことに気づくほど、とても強さと温かみがある演奏だった。

そして何より、冴木杏奈さんの絹をまとうかのような柔らかさと花のような可憐さと力強さを供えた歌声に私は本当に引き込まれてしまったのだった。言うまでもなく、冴木杏奈さんはただ歌っている姿を見ているだけで、その麗しい姿にすっかり目を奪われてしまうほど美しい。しかしそれに加え、あの美声である。何て素晴らしいショーなのかしら・・・本当にいつまでも聞きほれていたいほどその空気が心地よかった。その日は韓国の音楽などを始めとし、アジアの音楽を中心に演奏を楽しむことができたのだった。ベイリーズミルクのグラスを傾けながら、すっかり音に酔いしれた私は終始、頭が宙に浮かんでいるかのような浮遊感を味わっていた。引き込まれる演奏にすっかり夢心地になりつつも、気づけば力強く拍手を送っていた私だった。

ワンスインナブルームーン、それは『稀有な様子』を意味する。この日こうして留学先のソウルで、幸運にも大先輩の美声に酔いしれることができた出来事はまさにonce in a blue moonなのであった。

*写真は先日発売された『希 NEGAU』

ウェブサイト
http://www.annasaeki.com/
                            

                                       15 December, 2005

                      
 学校修了


先日通っていた高麗大学の韓国語語学院の課程がすべて修了した。10週間にわたってこの学校で韓国語を学んだのだが、今は無事修了したことにちょっとした満足感を味わいながら日々気楽に残りの滞在期間を過ごしている。

実は、こうして言うのもなんだが、今回は本当に色々な面で運に恵まれたなと感じる。自分が今回勉強した大学は環境が抜群によく、語学留学生に対しても利用できる施設の範囲が広く、また、韓国語学習のための工夫が多く凝らされたカリキュラムもよく、本当にいい勉強ができたなと思えるのだった。韓国文化を知る機会がふんだんにあり、机上の語学だけに偏らないような配慮を多く感じられたので、振り返ればよかったなと思う。

韓国語自体も、自分の中で進歩を感じられるのでよかった。日ごろ厳しいことを言う友達も、「随分上手くなったな」と言ってくれるので、お世辞に取らずにいようと思う。元々韓国人はあまりお世辞でものを言わないようである。その間色々思うことはあったのだが、いつでも重要なことは自分次第ということであり、その時その時の最善を尽くせばそれが大きな効果をもたらすものであるということだ。チャンスはいつだって自分でつかまなければ、ものにならないだろう。

そして、何よりこの生活の中で、他留学生との出会いを楽しみ、韓国人の友人との交流を深め、本当に貴重な時間を過ごせたことは、今回得られた大きな財産でもある。国籍も、年齢も違う学生の皆と一緒に机を並べて授業を聞くことは、何だか不思議な体験でもあったのだが、自分の中で固定観念や文化差異の壁を越える発見をする貴重な時間でもあった。

こうした出会いを通じて、更に私にとっての貴重な知識や見識が財産として蓄積されていったなぁと思うと、本当に自己満足に嬉しく思う。未熟な私が、風邪やホームシックに病み、孤独を感じながら、そして時に「私はどうしてこんな努力をしているのだろう?」なんて疑問を持ちながら空虚な気分に捉われていた時間も、思えばそれとして自分の中に刻まれていったかけがえのない時間だなと思う。本当に不安定な自分を暖かく支えてくれた方々には感謝したい気持ちで一杯であり、何かしら自分が返せることがあればと思う次第である。

いつだって、自己投資は楽しいものだ。少しづつ自分が変わって行くことが、不思議であり、楽しくもある発見をするようである。早くこの自己投資を活用して運用しなければと思うのだが。種をまく時期をなくしては芽が出て育ちゆく時期もないだろうから、こういうときは人生の中で必要だなと思い直したりする。私はどうも先に先にと飛躍しすぎて考える傾向が強いようなので、この目先の一瞬一瞬をも大切にまた頑張ろうと背筋を伸ばす今日この頃なのだった。

                            

                                       05 November, 2005

                     
  野球観戦

こちらへ来て早一ヶ月が経った。毎日色々なことがあり、書き留めたいことは山ほどあるのだが、何だかゆっくり内省する時間もないまま毎日が過ぎて行くので、ままならない思いが募るばかりであった。それでも先週は体調を崩し、精神的にも参ってしまったため、こうしてまたたまの休息日である土曜日を静かに自室で過ごしている私である。

そんなある日、下宿友達に誘われ韓国シリーズの決勝戦を見に行くことになった。日本ではそれほどプロ野球に興味を持っていたわけではなかったのだが、韓国で、野球ファンの友達に誘われ行くことになったのである。なんともラッキーなことだとは思いつつ、個人的にプロ野球はあまり興味がなかった私である。大体札幌で本来プロ野球チームがある土地で育っていないため、何だか応援するチームも元々なかったし、何より私はプロスポーツがあまり好きではないのだ。何だか商業めいていて、純真なスポーツ精神を感じられないせいだろうか。これは人それぞれ感じ方に違いがあるだろうが、どちらかというと私は高校野球だとかオリンピック、国際競技等のスポーツ観戦が好きなのだ。

韓国シリーズは日本と同じで4戦勝で優勝が決まるのだが、今年はサムスンライオンズ対ドゥーサンベアーズとの試合となったのだった。私が行った日はすでにサムスンが3連勝を決めていた決勝4日目で、やれサムスンがこのまま4連勝で優勝かという、ファンにとっては興奮極まりない試合の日だったのだった。この試合、きっとすごい試合になるんだろうなぁ・・・なんて思ってはいたが、やっぱりそれはすごかった。

正直いつも思うのだが、野球場で観戦していると、一体今何がどうなっているのか戦況が見えないものである。テレビで見る野球になれているせいなのか、いちいち電光掲示板で確認しなければ分からないのが面倒であったりする。テレビ中継とはいかに巧みに試合を実況しているかを実感してしまう。あれは恐らく巧みなカメラワークと機転の利いたディレクターのカメラ回しなのだろう・・・なんてことを三塁側席に座りながら思う。遠巻きすぎなのだ。なのだから、雰囲気を楽しむしかない。テレビにはない、試合の応援風景をありありと実感し一緒に熱気を感じることができる。威勢のいいヤジ、観衆の熱狂、応援団のショーなど・・・。

といってこの日の試合は圧倒的にサムスンが優勢に運び、結果的にそのまま4連勝で優勝が決まったのだった。途中から割合流れができていて、結果が見えていた感があったのだが、なかなかそれも面白かった。優勝が決まるや否や、巨大な花火が上がり、華やかな演出と共に、チーム優勝旗がどやどやと出てきてその瞬間に酔いしれる選手たちがゆっくりと観衆に挨拶をしていた。おなじみ監督の胴上げ、そしてビールかけなどの場面が続き、観衆は一斉に合唱していた。何だかとても貴重な瞬間を生で見ているなぁという実感でいっぱいだった。

何より韓国人の応援風景を実際に見れたことはなかなか興味深かった。皆応援グッズを上手く作り、紙ふぶきは飛ぶし、花火を皆でつけて振ってみたりとそれは美しかった。またビールを仰ぎ、つまみをかじり、カップラーメンをすすり・・・私も友達の持参したキムパプ(海苔巻き)を食べながら、どこか遠足気分でいたのだが、実際日本のそれとは大きく変わらないなぁと思った。恐らくサムスンというチームの本拠地がテグという土地柄もあるのだろうか。応援者がとても威勢が多い一方、サムスン社員なのかスーツを着て応援に来たエリートな雰囲気の人々も多くいた。試合後どやどや野球場を出ると、なんと外に数多くの屋台が店を出していて、人々が寄り集まって賑わっていてまだ熱は冷めないかのような雰囲気だった。何だか本当に試合のみならずいろんな発見をできて満足な夜だった。


                           

                                       16 October, 2005

                      
めくるめく日々

こちらで学校が始まってからというもの、何だか息をつく暇もないほど、一週間があわただしく過ぎて行くようになった。日々授業は午後13時に終わるのだが、皆その後は大体友達と昼食をとり、思い思いの過ごし方をしているようである。私はそんな中、学生のような時間にゆとりのある生活をするでも、お勤めをしている方のような時間に追われるようでもない、何だか独自の生活をしている。

といっても大そうなものでもなんでもなく、ただ日々様々な人々と会い、多くのことを学ばせてもらい、自分のしたい勉強を思う存分し、そして異文化の中で日々旅行中のような発見をする生活なのである。それがこの2週間はめまぐるしく、自分の中で消化しきれないほど一杯になっているようで、日曜の今日一日は部屋からほとんど出る気にもならないほど体が休息を欲していた私である。いろんなことをゆっくり考えつつ、物事の整理をし、掃除、洗濯などの生活もこなして過ごす。私にはこういう偶の一人の時間が、酸素を欲するがごとく必要不可欠である。でもそんな一日を過ごすと、また人と会ったり外に出たいという意欲が沸いているのである。これはいわば独身生活満喫ってところなのだろうか。

実際振り返ると幸いここしばらくとてもイベントフルな毎日だった。下宿友達に誘われ、夜遅くだというのにチキン&ビールを食しながら語らったり、韓国語のサークルへと参加してみたり、大勢でカラオケへ行ったり、下宿のワンコの散歩に出かけたり。その中でやはり私にとって大きな出来事だったのは、ここのワンコの旅立ちだっただろうか。

先日、下宿のアジュンマが、ワンコのチャングン(将軍という意味!)を人に譲ることになったという話をしていたのを聞き、特別チャングンを可愛がっていた下宿の学生たちはちょっとばかり色めき立っていた。門を開けると、いつでも小屋から出てきて、構って構ってと愛想よくしてくるこのチャングンの存在が、私にとってどれだけ大きなものだったか分からない。来たばかりのころは、チャングンを可愛がるなんて、ちっちが見たら、嫉妬してしまうだろうななんて想像して、可愛がりたい気持ちを抑えてみたりしたこともあった私だったのだが、6ヶ月の好奇心旺盛なときに、いつも長くはない鎖に繋がれているこのシェパードと珍島犬のハーフの大型犬を慮る気持ちが募って行き、学校帰りにスーパーで犬用ガムを買ってあげたり、服の汚れも気にせずに遊んであげたりしたのであった。

血統がいいチャングンはとっても性格がよく、頭がよさそうでいて、6ヶ月ならではの純粋無垢な瞳が何ともいえず愛おしさを感じさせるワンコだった。チャングンが譲られてゆくことになったという話が出た夜、夕食後に、同じ下宿の友達と連れ立って散歩に連れて行ってあげることになったのだった。元気なチャングンは、そのありったけの好奇心と興奮心を抑えきれないようで、どこまで走っても疲れを知らないほどだった。顔立ちのよいチャングンは、どこを歩いていても皆の視線を捕らえ、誰もが振り返って見るほどだった。元々こちらではワンコを連れて散歩している人は多くないせいか、本当に皆の注目を浴びるのはなんだか私まで気分がよかった。友達と整然と整備された美しい高麗大学構内を歩いて周り、その後下宿近くの見晴らしのよい小高い山頂にある公園まで私たちは歩いていった。

久しぶりに歩き回って遊びまわったチャングンと私たちは、公園から見える夜景を見晴らしながら一休みした。大きなチャングンを見て、子供たちが興味を持って近寄ってくる。まだ子供のチャングンは、甘え方が荒々しいため皆始めは恐ろしがっていたのだが、実はとても人懐こいその性格で最後には皆と仲良くじゃれあうようになっていた。その中の子供が、小学校のときクラスに一人はいる、メガネをかけた物知り博士タイプの男の子で、「犬は耳を立てているときが警戒しているときなんだよ、本に書いてあったもの」だの何だのとその博学振りを披露していたのが面白かった。下宿の友達は、「僕は本当に何でも知っているね、将来必ず高麗大学に来な〜」なんて言って褒めてあげると、男の子は満足そうにしていてかわいかった。どこの国にもこういう子はいるのね、なんて思いつつ、下宿友達の愛校心にも感心した私であった。

そんなチャングンをよく見たときであった。チャングンの瞳から涙が流れていたのを発見したのだった。どこか痛かったのかと心配しつつ、彼がどこかへ行くことを察知してのことだったのではないかとふと思ったりした。犬は人間の何倍もの感受性があるといわれている。そして、私は自分が飼っているワンコを見て、悲しいときに涙を流すことも知っていた。チャングンはこのとき何か悲しく感じて泣いていたのだと思った。何だかたまらなく愛おしくなってわずか2週間とはいえ十分なほどの情がわいてしまっていることを感じた私であった。

そんな次の朝、登校前にガムをあげたのが最後のお別れだったのを、下宿に帰ってから気づいたのだった。何だかその夜は明るい気分になれなくて、いろんな想像をしては何だか切ない気分になっていたのだが、それを見た下宿友達がまた連れ立って遊びに誘ってくれた。大学構内の広場で語らったり、近所の名物ハンバーガー屋で立ち食いしたり、バッティングセンターで久々に打ちっぱなしをしたり。ふとチャングンを思い出しては何だか心はどこか切なかったけれど、楽しいひと時を過ごしながらチャングンの新しい生活が幸せであることを祈った。


                           

                                     30 September, 2005

                      
ソウル生活再開

久しぶりにまたソウルへと降り立った。なんだかんだとこうしてソウルへ入国するのは昨年の12月以来3度目で、何と三カ月おきに来ていることに自分でも驚くほどだ。それまでそんなに韓国に興味を持っていたというわけでもなかったが、そもそもマイレージをために昨年12月に格安旅行を敢行してみて、そこで意外な発見を多くしたお陰で、こうして韓国語にも少しづつ明るくなり、その文化をより親身に知るようになったのだから、人生どこでどんなきっかけが待っているかなんて分からないものである。世の中、偶然の出会いから意気投合して瞬時に結婚してしまうような人たちだっているものなのだ。

しかし、風のように過ぎ去るこの月日のなかのこの短い期間で、こうして異文化の中に身をおくことは、かけがえのない経験であり、投資だと思っている。振り返ったときに、どの道同じように変わりなく過ぎ行った時が、何かしら学びや素敵な思い出を自分にもたらしてくれたらなら、こんな儲けものはないと思うからだ。そして今年は、韓国語をよく習得できた、と年末頃に思えたらラッキーだなと思っている。

言語がもたらす面白さは計り知れない。英語が世界の共通語だとは言え、やはり、他言語を介してしまうのと直接その言葉で話すのとは理解の度合いが違うものだ。大体こんなに似通ったものを持つアジア人同士で英語で話すなんて、何だか遠回りしているようでもどかしい。何だかまるで、韓国へ行くのにわざわざアメリカを経由して飛んでいくみたいな感じである。お互い普段ほぼ同じ言語の思考方式の中で会話をしているはずなのに、わざわざ違う言い回しで言い直すことは本当に骨折りに感じるのだ。

またやはり、外国人タレントの方々もたとえ面白いことを言っていても通訳を介していたら、結局通訳の方の言い回しになってしっただろうし、そうなると面白みなんて消え去ってしまうだろう。言い回しがおかしくとも、間違った日本語だろうとも、あの方々の言葉だからダイレクトに伝わるし、面白くなるのだと思う。そんな訳で、私は英語だけではない他言語の習得を目指すのだが、二十代の間に韓国語、中国語をある程度までをと目標にしている。韓国語、中国語は、自分なりに思うところの重要な言語なのでこうして勉強するのだが、これらの言語を話せたなら世界の何割くらいの方々と交流できるようになるのかな、なんて想像している。

ともあれ、こうして改めてソウルへと来てみると、不思議なものですんなり以前滞在していたときの延長上にいるような感覚になり、札幌へ帰り、していた生活がまるで長く見ていた故郷の夢などであるかのような感覚になるのであった。もはや慣れてしまった地元人向けの空港バスに乗り、終点駅まで仲良しのドーワンにお迎えに来てもらい、久々の再会をした。そしてすぐに私たちは、以前滞在したシンチョンではなく、今回は高麗大学のあるアナム駅方面へと向かった。

今回高麗大学で勉強しようと思ったのは、延世大学とは違った大学も見てみたかったこと、そしてシンチョン以外のところにも住んでみたかったことが理由である。語学堂を卒業までしようという考えはなかったので、折角なら多くの環境で、違った人々にも出会ってみたかったし、何より、シンチョンの喧噪を離れてもう少し静かな場所に住みたいなぁと思ったのである。しかし、ライバル意識がいい意味で強いこの両大学の人々に「どうしてそこに決めたの?」と早くもよく聞かれてしまうので、学生の愛校心をひしひしと感じられて面白い。

それからドーワンと夕食を一緒に食べるなり近況を話し、その後夜も遅いというのに彼は下宿を探してしまおう!と言いだし、さっさと行動に移すあたり、何だか見習いたいところだと思った。始め、今回通う高麗大学付近の下宿を歩きまわり、知人の情報を借りたりとしていたのだが、そうそう簡単に見つかるものでもなく、その日はさすがにムリかしら?と思っていた。が、積極的な彼は、道端の広告を片っ端から問い合わせてくれ、その中でその時間でも見せてくれるという下宿の主人を見つけ、私たちは行くことになった。そこは、少々中道に入ってしまう場所にあるのだが、入り口にはシェパード系のワンコがいて、主人もとても気さくな方で、部屋もなかなかよい環境だった。隣の部屋も親切そうな女学生がいて、とても安心できそうではあった。慎重なA型の私はそれでも見て回ってから決めたいと思っていたのだが、今時期は学期明けということで、もうそれほど空きはないという話を聞き、半ばせっかちなB型ドーワンに押され即断即決状態で決めてしまったのだった。

そんな訳で開始したソウル生活であるが、今のところ大分落ち着いて、以前いた経験からの余裕かさほどさびしさも感じずに過ごせている。下宿に来て、ある学生がワンコをゴシゴシ洗っているのを眺めていたら、その気さくな学生が話しかけてくれ、すぐに仲良しになった。彼は高麗大英文科の学生で、英語ができ、私の拙い韓国語をフォローするように流暢な英語で話してくれたのでとても安心させられた。ワンコも私の服にちっちやももの臭いを感じたのか、写真のように、興奮して遊ぼうポーズを取ってくるのだった。きっと、ムツゴロウさん流に接するイヌばかな私を同じ犬だと思っているのか、無邪気なこの子は「臭いを嗅いで」とお尻を見せてくるのがいじらしい。この子がいれば、ワンコへのホームシックも和らぎそうである。それから、その学生に下宿のハウツーを指南してもらい、彼はその夜、他の下宿生と共に歓迎会を催してくれた。何とも気さくな方々に囲まれ、なかなか快適にソウルでの生活の船出をすることができたのだった。

         
                             


                                  29 September, 2005

                      
ソウルへゆくまで

時が過ぎ、今またソウルの生活を始めることになった。その間色々とあり、実に考える暇がないくらいに時が過ぎていった。今ようやくどうにか落ち着いたところなので、少しその間を振り返ってみようと思う。

そもそもソウルから帰国してみて、やはり語学を学ぶのに3ヶ月というのはあまりにあっという間で、また機会をみて行きたいなぁと思っていた。しかし、私はそれほど意志が強い人間ではなく、今後どうするなんて頑として決められるタイプではなかったため、あまり考えずに周りの人に「また年内にソウルに行きたいと思っているんだよね」なんてほのめかしつつ、内心、「とか言いつつ行かないだろうな」などと思ったりしていた。自分の中では、年内にでも行かなければきっとモチベーションも消えて行き、恐らく最終的に匙を投げてしまうだろうなぁとは思っていたが、かと言って、実行に移すことにどこか前向きになれなかった。

帰国後ほどなく、観光案内での英語通訳の仕事を友達の紹介ですることになった。ここでは、これまたとても佳き出会いがあり、何とも貴重で有益な時間を過ごさせてもらうことができたのだった。NPOの観光関連の法人での仕事だったのだが、英語のほかには中国語、韓国語担当者がいて、それはまさに私の興味へがってんで、沢山のことを学べるだけでなく、以前札幌の観光PRの仕事もしていた経験を少なからず生かして還元でき、更に北海道を直接的に外国人観光客へアピールできるという私にとっては究竟の仕事であった。といって、実際私は提供するより学ぶことのほうが多く、何とも短期間ながらよい経験となった。何より、そこで出会った仕事仲間や上司に大変恵まれたお陰で、ソウルから帰国後も韓国語をあまり忘れず、勉強を継続する気持ちをなくさずにいることができた。とても向上心があって、とてもバイタリティがある素敵な方ばかりで、とてもよい刺激を受けた。隣ですらすらと韓国人相手に案内する担当者を見ていたら、やっぱり韓国語を趣味程度に終えたくないなぁという気持ちが募っていった。

しかし、帰国して時間が過ぎて行くにつれ、日本という国はこんなにも便利かつ住むのに楽で、それを敢えて不便で不慣れな土地へ行くなんて、という気持ちにいつの間にか変わってしまっていた。それに世界一愛おしいわんこたちと再び離れてしまうことは、どこか恐怖に似た気持ちすら起こさせる。そういう考えというのは、実に重く心にぶら下がり、後ろ髪をおいおいひっぱるもので、そうこうしている内に自分でどんどん腰が重くなって行くのが分かった。現状とは常に自分にとって可もなく不可でもないものかもしれない。その現状を打破してまた新しい場所へ飛び込むというのは何て大きな不安を起こさせるものだろうと思う。何かにつけあれこれ憂慮しては、前へ進むことを拒まれるようだった。自分はどうしてこうも果断な行動ができない人間なのだろうと何度思ったか分からない。多くのことを想像しては、訳もなく眉を曇らせてしまう自分をどうにもできずにいた。

それでも、友人に話していたことがよい意味で自分にプレッシャーとなり、「また行くんだよね?」といわれ、「そうなの、行く予定なの」なんて言っている内に、自然と少しづつ近づく締め切りを前に自分を追い詰め、計画を遂行して行くような状態になっていったのであった。物事考えすぎてしまうと、どうにも思いに縛られ身動きできなくなってしまうことがある。けれどもこうして実際に決めて動いてみれば、何とも思ったほどのことはないということを痛感するのであった。

これは言わば、バンジージャンプをするようなものだと思う。私は人生で一度だけバンジージャンプをしたことがある。といってあのオセアニアにあるような本格的なものではなく、近場の遊園地へ一時的に来たアトラクションでせいぜい10階建てのビルから飛び降りる程度のものだったのだが。しかし、何が一番大変かといって、あの飛び降りるまでの瞬間である。その時決心できない私を見かねて、係員が「いち、にー、さん、バンジー!!」などとカウントダウンしたため、大悟徹底、いってしまえ〜と思い切ることができたのだが、あれを自分で踏み込んで行くのは大変な決心が必要だったと思う。案ずるより生むが易いということは人生多々あるものだ。そんな訳で今踏み込んでしまった私は、まるで、勇気を振り絞ってジャンプした後の、あのブラーンブラーンという命綱のつっぱりに身を任せているような感じである。それをゆっくり地上へ引きおろしてもらうときが帰国の頃みたいなだろうと思うので、しばしここでの生活を命綱に任せて楽しみたいと開き直って思うのだ。

         
                             

                                  11 September, 2005

                        
あれから

過ぎ去った日々の中での出来事をふと考えたことがある。過ぎ行く日々はただあわただしく、やがて人々は日々の営みに追われ忙殺されゆき、過去という時を過去へと葬り去るようになる。その時々の瞬間に抱いた感情、感覚、記憶などすべてはまるで存在しなかったもののように消え行く運命にある。実際過去というのはもはや存在のない感覚として捕らえながら人は生きているようだ。それならばなぜ人は記憶をこの精神の中に留めゆくのだろうか。

遥かかなたから輝きを放つ星の瞬きが遠い過去に起こったものであるように、人の記憶も出来事の瞬間が実体として感受するまでに時間を要するからなのだろうか。過ぎ去った時の様々な記憶は、もはや昨晩見た夢となんら変わらない存在であるよう儚く薄もやのように曖昧で、掴むことのできないものに感じられる。それでもこの記憶という倉庫のどこかには確実に存在している過去というものは何なのか。

過去は常に積み重ねられているのだろうか。いやそれは、そう感じられるだけのことかも知れない。実際に積み重なっているものなど何もないのかも知れない。人が細胞の分裂を繰り返して日々変化する過程の中で、成長や老化をし、それが連続性のある変化として感受されているだけなのかも知れない。時計というもので時を区切る目印を付けたことで、その積み重ねを感じるだけのことなのかも知れない。物事を感受し、情報を得たところでそれは無限に蓄積できるものではない。いつもそれは制御できないところで忘却のかなたへと消去されてゆく。時というものはすべてが全体であって、それが一つにすぎないものなのかも知れない。

人はその時、その瞬間にのみ存在するに過ぎない存在なのだろう。変わることはない、その本質は何一つ変わることがないのだろう。だから出来事は繰り返される。幾度も変わらず飽くことなく。人はそこにただ存在し、刻まれる時を感じながら、生き行くのみなのだろう。

その日に起きた出来事は少なからず私の人生観に影響を与えたと言える。何が大事で、自分がどういう世界に生きているのか、この世の瞬間にできることとはどういうことなのか。価値観すら覆されるほどの出来事だったのだ。それはこの世のすべてを象徴しているようで、如実に物語っていたようで、ただ自分に無力感を与えたのだった。世の中の現実であったことが、はっきり目に見える形で起こったのがあの日の出来事だったのだろう。

世の中に真なるものはたった一つしかないと信じたい。それが真であるなら、人は、物事はすべて善の元に存在しているということである。この遥か広がる宇宙の中に、46億年前に何かの偶然で生まれたこの地球という惑星も、38億年前に生まれたこの無数の生命体、そして500万年前に生まれた人類もすべて善の元にできたものなのだと信じたい。そういった意味があるのだと私は信じたい。

写真は、2000年にニューヨークを訪れた際にWTC屋上より望んだマンハッタンの風景


         
                             



                                       04 August, 2005

                  
 旅立ちを見送る日


先日、元同僚だったレイコと元上司のお姉さまと一緒にランチをした。他でもない、この日はレイコのお祝い、そしてお別れの日だったのだ。小雨が降るこの日の昼は、何だか嬉しいような切ないような時間だった。

彼女との出会いは、観光親善大使の仕事で一緒になったことが縁だったのだが、共通した価値観を持っていたり、年齢が一緒であったりと、その当時の仕事の中で本当にかけがえのない時間を共有した仲である。なにしろ仕事で出張などへ一緒に出かけると、ほぼ四六時中、寝食を共にするものだから、短期間でありながら何だか自然と密度の濃い付き合いのようになっていたような気がする。在任中、互いの喜びも悩みもストレスも、すべて彼女とは分かり合えたと思う。そんな彼女との関係は、任期後もずっと続いていて、常に私の挑戦や判断に理解を示してくれ、時に意見してくれることが何より嬉しかったのだ。

そんな彼女がこの夏、運命の人の元へお嫁に行くことになった。かねてから彼女と恋人が超遠距離恋愛で愛を育んでいたことを私はよく知っていただけに、今回こんな風に結ばれることは確信していたし、私にとって本当に祝福の気持ちがこぼれんばかりの出来事となった。しかし、彼女がそれと同時に遠くはスウェーデンへと行ってしまうという事実に、私は嬉しさの片隅にある寂しい気持ちも隠せないのが本音であった。

ともあれとにかく感慨深い。運命とはこんなものなんだなぁということを証明してくれるような二人だった。自分が本当に愛する人も同時に自分を心から愛しているという事実。そんな幸福を享受できる人がこの世にどれくらいいるのだろう?本当にまるでハマグリのように、ぴったりくっつく殻に巡り合ったという感じなのである。それが永遠に続くことが幸せであると思うし、一瞬でもそういう事が人生で起こったならそれもまた最上の幸福に違いない。運命とはこういう出来事を言うのだろうか。運命だから結婚し、人生を共に歩んでゆく。そんなありふれた言葉の中にある稀有な事実。それはそれだけ貴重だから美しいのだなと感じる。歴史を重ねて人と人の関係が文明の発展と共により複雑になってゆきながらも、その普遍的な事実だけは変わることがなかったのだろう。

そんなことを思いながら、私たちは美味なランチと共に、束の間の語らいに花を咲かせた。幸せいっぱいの彼女は、それでも謙虚そうにこれからの不安もふと口にすることはありながらも、私もお姉さまも、彼女がどんなことをも気丈に乗り切ってゆく確信をしていたと思う。晴れやかな夏の日のイギリスで式を挙げる彼女を是非見たかったなぁ。きっと彼女は最高に輝いているはずである。新郎のクリスも、きっと世界一の幸せ者の笑顔でいるのだろう。余談だが、彼は『COLDPLAY』のボーカルと同姓同名であるため、何だかいつも彼を思い出すと、頭の中に『COLDPLAY』のあのフワ〜とした爽やかなメロディラインが流れてくる。まるでイギリスの空気を彷彿とさせるような音楽と歌声。今、聞きながらまた切なくなってくる。

その昼に、出発前で忙しかった彼女とお別れするときは、何だか本当に寂しくてたまらなくなってしまった。いつかまた会えるはずなのに、遥か遠くへ行ってしまうのだなと思うと、まるで人を空港でお見送りをするときのように、はらはらと出てくる涙をこらえきれない気持ちになってしまった。結婚して遠くの地へと旅立つ彼女を見たら、新しい土地で新しい生活をしてゆく彼女の人生の門出を祝福したい気持ちと、その後の労を慮る気持ちとで、心が複雑に混ざり合ってこらえきれず、涙が止まらなかった。私でさえこんな気持ちになるのだから、きっとお嫁に出すご両親の気持ちといったら、計り知れない。なぜだか花嫁の親の気持ちは、きっとこんな感じなのだろうとふと思った私であった。

そんな訳で、私は新婚旅行はヨーロッパにと心に決めているので、その暁には是非彼女の元を訪問したいと思っている。いつの日か私の未来の夫と共に、スウェーデンを案内してもらいに行かなくては。そうやっていつか彼女の元を訪れ、幸せな彼女の家庭と、夜空に光るオーロラのカーテンを見るのが楽しみな私なのだった。
 
写真は、沖縄を訪問した際のレイコとのひとコマ。


                            


                                        July 14, 2005


                 
懐かしきソウルの日々


帰国してからというもの、なかなかゆっくりとこの三ヶ月のことを振り返り考える時間を持てずにいたのだが、その間の話については、少しづつまとめてゆきたいと思っている。写真もGALLERYにアップしてゆきたい。といっても、何だか未だについこの間まで生活していたソウルのことを考えると不思議な感慨にとらわれてしまう。

あちらで出会った友達とも、今生の別れとばかりにおうおうと涙するような別れなど一つもなく、「じゃあまたね〜」と爽やかに手を振って別れて来たのだが、実際本当にまたすぐいつでも会えるなぁという感覚でいる。こんな時代であるだけに、メールもあれば、オンラインチャットでいつでも会話することができるし、何かあれば電話をすることもできる。世の中実際のところ距離なんていうものはそれほどなかったりするものだ。ましてソウルは札幌からだと東京へちょっと行ってくる、位の感覚で気軽に行けてしまう距離である。同じ日本にいても、西日本の地域の方がなんだか遠く感じてしまうほどであるので、ソウルにいる友達にはそれほど離れているという実感を持たない。それ位私にとってソウルは身近な都市になってしまった。

こちらに戻って一番懐かしく思い出されることは、自分が3ヶ月の間生活したシンチョンの雑踏感である。とにかく人口密度が高く、人の流れがあまりに早く、そして行き交うものの忙しないこと。自分の下宿の周りはちょっと出ると飲み屋や焼肉屋など店が連なる繁華街であったために、滞在の後半はややもすると精神的にやや限界のレベルであったかもしれない。行き交う人の多さに酔いすら感じ、肩がぶつかるなんて日常茶飯事にストレスを感じてゆくような中で、静かなところでゆっくり美味しい空気を深呼吸したい、という強い願望が日に日に高くなっていっていたと思う。早く、慣れない都会での生活の中で溜まった心の消化不良の部分をすっきり浄化したいなぁとふと思うことがあった。写真は、南山公園から望んだソウル市外の風景であるが、ここへ上ったときがソウルでもっともいい空気を吸ったなぁと思えた瞬間であった。

それでもこうして離れてみると、そんなこともすべてが懐かしくなり恋しく思われるのが不思議である。何もかもが恋しく、愛おしく思われてしまったりする。こうして札幌市街を歩いてみるとなんだか人気がなく感じられて寂しく、確かにあんなにげんなりしていたほどの人口密度も懐かしくすら感じられてしまうのである。家の近所で道りの向こうを見渡しても人ひとりいないなんてことは、こちらでは日常である。そして見渡しても、腕を組んで歩いている人たちもほとんど見かけない。明らかに人と人との距離が違い、韓国のそれと比べると何だかややもするとドライに見えてしまったりする。こちらで慣れた和食を食べていても、何だか味気ないと感じてしまうことすらある。札幌でおなじみスープカレーを食べても、どこかスパイスがいまひとつ、なんて感じてしまうのだ。当然ながら、市内の繁華街を歩いてみても、どこにも外で焼肉をしながら飲めるような店は見当たらない。何だかあの見慣れた賑やかな風景もないとやっぱり寂しいなぁなんてふと思ってしまう。

ああいった景色を見ながら私は、どこか楽しさや幸せをもらっていたのかもしれない。こういう札幌の日常に戻って時間が経ってゆくにつれて、まるでソウルでの時間の現実味が薄らいでゆくようで不思議な感慨である。こちらでの生活があまりに平和で便利で安泰であり、そして言葉のストレスも当然ゼロでありながら、どこか何かが欠けているように感じてしまうような感覚。何とも都合がいいものである。本当にあの常に緊張感とプレッシャーのある生活は、何にも変えがたいほどエキサイティングだったなぁと思い返すばかりである。

そんな私は3ヶ月でもそれなりに影響を受けた部分があるのか、こちらで会う人に以前にもまして、日本人じゃないみたいだと言われるので面白い。大体、韓国でも何度も「日本人に見えない!」だとか、「韓国人ですか?」と言われていたのだが、私にとってそれはどこでも言われて慣れきっていることなのでもはや気分がいい。素肌美人を目指してナチュラルメイクにしているから?髪をストレートでのばしているから?今もって理由は分からないが、恐らく現在の私は身元不詳の東洋人といったところだと思われる。そして感覚がずれているのか、この間東大門市場で買ったかばんを持っていたら、友達に「それ、ずいぶん派手だね」と言われてしまった。そのかばんは確かにゴールドなのだが、あちらでそう思ったことは一度もなかった私なのだ。

しかしこういった経験を通じて私自身、一体自分のオリジン、ルーツは実際どうなっているのだろうと真剣に想像してしまうこともあった。韓国という一番身近な海外でさえ、日本とは異なる歴史を歩み、異なる民族が、異なる文化を営んできたのである。こんなにも見た目に違わない外国人と三ヶ月の間、触れ合ってみたら、更にアジアの関わりあい、そして更にはこの日本という自国のことをより探ってみたいという欲求に駆られることもしばしばであった。韓国は、本当にその文化の独自性が興味深いと思う。そんな訳で、今後も更に私の探究心は駆られるばかりなのである。




                             


                                             June 12, 2005

                 
ランゲージエクスチェンジ

この日はこちらで言語交換をしているダニエル・ムン氏と会う約束の日だった。ダニエル氏は韓国で有名な英語講師で、自身のテレビ番組を持ち、その英語教育はこちらであまりにも有名である。幸運な私はとある紹介を経て彼に会えたのだが、日本語も流暢な彼に日本語の語法を教える代わりに、韓国語を教えてもらっている。

ドーワンと書店へ行った際に、偶然見つけたダニエル氏の著書を見て、「彼と言語交換しているの」とドーワンに話したところ、「えー!!!本当に???是非会ってみたい!」と彼が強いラブコールをしてきたため、今回、3人で食事をすることになった。ドーワンとは最近大分韓国語で会話することも増えてきたのだが、やはりコミュニケーションの基本は英語である。しかしお互い英語がネイティブではないし、特に留学経験がなく、自分で勉強してきた英語で話しているドーワンは、そこに限界を感じるといって、今回是非その勉強法をダニエル氏に聞きたいということだった。

ダニエル氏は、留学経験はまったくないのだが、その独自の勉強法で英語・日本語・中国語をネイティブ並みのレベルまで習得した方である。水が流れるように絶え間なくテンポ良く話すダニエル氏の話に私もドーワンもすっかり聞き入ってしまっていた。英語に限らず外国語は、Sound(音)、Structure(構造)、Situation(状況)の3Sを実践すれば必ず話せるようになるというのがダニエル・ムン式3Sの法則である。すなわち、声を出して、文法にこだわらずに語順をを意識して体を動かしながら覚え、会話しているイメージを持ちながら学習するということが重要ということなのである。

カリスマ講師ならではというか、彼は本当に頭の回転が早く、話がすべて巧みに論理化されていて聞いていて本当に興味深い。とても納得させられるのは、上の3Sを成功させるポイント3点である。一つは、会話をする相手を常に想像しながら練習するということである。確かに会話は一人で成り立つものではない。なので、常に対話の相手をイメージしながら声に出してみると記憶によく残るのである。もう一つは、例文などを自分のことに置き換えて右脳に焼き付けるということだ。例文を自分の状況などに置き換えて言うと、感情が伴い忘れにくいということである。確かに、留学中何度か言われたのが、「韓国人のカレシを作れば上達が早いよ!」というアドバイスであった。常に感情が伴うからさぞかし上達が早いだろうと思われたが。そして3つ目は、バッテリーを常に充電するということである。「やらなければ・・・」というネガティブなモチベーションは3日しか持たないが、人から褒められたり、「会話が通じた!」というポジティブな感情は1ヶ月は続くものである。なので、褒め言葉で自分を刺激してやる気を充電しようということなのだった。

ダニエル氏の言葉はいつも会うたびに刺激になり、私はこれにとどまらず、色々なことを教わった。すべてを実践し、その効果を証明することができるダニエル氏の言葉にただ感心するばかりなのだ。ドーワンもただ頷きその話に深く感銘を受けていたようだった。私たちは話しながら夕食を取った後、居酒屋風の飲み屋へ移動してダニエル氏の事務所の方も一緒に合流し、そこでよりくだけた楽しいお話をした。ダニエル氏は終始韓国語と日本語を織り交ぜて話してくれた。本当に頭の回転が速いなぁと感心することしきりであった。

サンサチュン(山査春酒)を飲みながら語らっていたら、程よく酔いがまわって陽気になり、余計に韓国語が口について気分が良かった。ダニエル氏の人生観、勉強観、恋愛観など・・・とても興味深く語らえて嬉しかった。日ごろ仲良しのドーワンとも、何だか理解しあえていなかった微妙なニュアンスも、ダニエル氏を介して話を聞き、より分かったことも良かった。写真から和気あいあいの雰囲気が伝わるだろうか、何ともストレートにやりとりする中にストレスのないこと、韓国人の方々とお酒を飲むのは本当に楽しい。そしてこうして言語の理解があるからこそ広がる交流でもあるなあと更に痛感した私である。世界のどの言葉よりも似た文法、すなわち思考回路で更にそっくりな言葉を持つ韓国語。本当に面白いなと思うと同時に、早くもっと理解したいなぁと改めて思った。

帰り道、ドーワンは、盛んに自分もダニエル氏を見習って「トッカンサランになる!」と意気込んでいたので、「それはどういう意味?」と聞いたところ、「帰ったら"トッカダ”を調べてごらん、これは本当に大事な言葉だから。次までの宿題ね。」と言われてしまった。オッパは滞在中しょっちゅうこうして私の勉強意欲をかき立てるようなことを言っていて、こうして何度宿題を出されたか分からない。今回もなんだなんだと調べてみたところ、この言葉は「毒する」という言葉から来ているようで、毒気がある、転じて意思が強い、我慢強い、というような意味だった。結構マゾヒスティックな言葉が好きなオッパである。本当にダニエル氏には刺激を受けっぱなしであったようである。そんな私も今後、韓国語・中国語を制覇できるかしらん・・・見習おう!と思った夜だった。


ダニエル氏のサイトはこちら・・・

http://www.funglish.com/


                           

                                             June 05, 2005

                  
 COEXへお出かけ

休日、ソウルの南はカンナムエリアにあるCOEXへと行ってきた。COEXは、地下鉄でサムソン駅まで乗り継いで行ったところにあるマルチプレックスなエリアで、ショッピングモール、コンベンションホール、博物館、ホテル、映画館、水族館、免税店などなどそれはそれは一日中いても飽きさせないほどの施設なのであった。近辺のビルは近代的でスケールが大きく見上げてしまう。今でこそソウルの経済、及び金融、デジタル分野の中心であるここも、約40年前までは農村だったというのだからその急成長振りがうかがえるようだった。友達と語らいながら地下鉄に乗っていたら乗り過ごしたりして回り道があったりしたのだが、韓国語・英語でのいろんな語らいが楽しくそれも気にならなかった。

サムソン駅を降り立つと、早速近代的な雰囲気がいっぱいでびっくりした。私の知っているソウルの雰囲気をまた覆すような楚々とした無機的な高層ビル群を思わず見上げてしまう。駅から直結しているコエックスショッピングモールへと足を踏み入れると延々と広がる店舗にまた驚く。どこまでも様々な店が続くのでただ歩いているだけで飽きることがない様に思われた。そこで友達とランチをして、モール内を見て回った後、一緒に映画を見ようというということになった。最近封切られた『スターウォーズ』に俄然人気が集まっていてちょっと興味をそそられたりもしたのだが、そろそろ韓国映画を見てみたいなぁと思っていたところだったのでこちらで話題だった『ダンサーの純情』を見ることになった。

いやはや、友達に後で分からないところを聞くということで初挑戦だったのだが、案外ストーリーもセリフもつかめて嬉しかった。ご存知の通り、こちらの方々は上映中に電話に出たり、率直に感嘆の言葉をもらすし、泣き、笑い・・・なんていうことがごく普通なので、友達も上映中普通にちょくちょく解説してくれ何だか楽しめた。何せ、主人公に方言があるという設定だったため、さすがにソウルの標準語すらおぼつかない私には訳が分からないながらも、何だか新鮮で面白かった。ソウルはもっとも平坦なイントネーションで話すといわれているのだが、韓国にはさまざまな方言があって、特に有名なプサンなまりはイントネーションがかなり上下し、喧嘩しているようだなんて言われるほどなのである。私の下宿にも方言の学生がいるのだが、意味が分からなくともそのイントネーションは独特ですぐ分かるものだ。

そんな訳で様々な発見をしながら、ダンスが好きな私は、この何とも演技の達者な主役のムン・グニョンの演技に感じ入って見てしまっていた。本当にこの子の演技には『秋の童話』以来、女優魂にすっかり涙腺をやられまくっているなぁと思う。韓国ならではののストーリー仕込みの演技にはただただ感動するばかりであった。隣に座っていた韓国人の女の子も、「あのドレスかわいい〜」なんていいながらキャッキャと見ていたと思ったら、その後の場面ではすすり泣きをしていた。本当に皆さん一緒に入り込んで観ているんだなぁと思ったら、何だかショーを見る気分もすっきりで自分自身心から楽しめる気がした。

私たちは映画を楽しんだ後、コエックス内を散策したのち、アックジョンドンへと足を運んだのだった。アックジョンドンは、ソウル市内でも高級な店やレストランで有名な地域で、ランドマークのギャラリアデパートやマックの辺りに高級店が軒を連ね、またロデオ通りにはおしゃれなカフェやブティックが一杯だった。私たちは周辺を見てまわった後、カフェでひとやすみすることにした。歩き疲れたその時にあまりにも美味しいケーキとジュースを味わい幸せな気分の私だった。そこで更に友達と色々な話に花を咲かせ、時の過ぎ行くまま気の召すまま過ごしたのだった。友達はとっても実用的な若者言葉や、ソウル人がよく使う会話のクセなど興味深いことを色々教えてくれた。携帯のメールを見せてくれながら、短縮形やカワイらしくした表現など・・・ハングルにも色々あるのね、と思うと何だか面白かった。確かに私が今まで友達から来たメールで、どう辞書で引いても見つからない単語があったりしたものだが、それはこういうことだったのね!と分かって面白かった。ふむふむ、韓国語もメールでカワイらしく表現したり短縮したりということが盛んなのね・・・まぁどの言語でもそれは普通のことなのだろう。

それからその日は夜にチムタクを食べたのだった。何だか日本の芸能人みたいな名前の料理なのだが、韓国の伝統的地方料理で、鳥の野菜煮込みのような料理である。甘いようなスパイシーなたれで煮込んであって、風味がよく、とっても温まる一品だった。何といってもボリュームがいっぱいで、二人でもすっかりお腹がいっぱいなほどであった。韓国には鶏肉を様々に旨くこしらえる料理が多いなと感心する。基本的にやはりスパイシーなのだが、このチムタクはそれがほどよくたれに忍ばされていて、野菜の甘みとよくマッチしていて美味しかった。韓国の食をまた一つ知れて嬉しい夜だった。

ちなみに『ダンサーの純情』サイトはこちら、皆様も映画の雰囲気覗いてみて下さい。
http://www.sunjung2005.com/



                           


                                             June 02, 2005

             
  ホンデのおしゃれなカフェ
 
この日は友達とシンチョンの駅前のマックで待ち合わせの約束があったので、約束通りその場所へと向う。待ち合わせ場所へ到着したところ、同じ学校の友達がいたので「あら偶然ね〜」と言いつつ軽く立ち話をしていた。「韓国語の勉強はどう?」「これから会う友達は?」なんてことを話していた矢先に待っていた友達がさらに友達を連れて到着してビックリした。待ち合わせ場所で会った友達も彼女たちを待っていたのである。何て偶然、その友達は、韓国語、日本語、英語を話せるせいか、足が広いようで(日本語で顔が広い)何て偶然!と皆で驚きつつも、世界は狭いわねなんて話しながら、バスに乗り、四人でシンチョンの隣街ホンデエリアへと向かった。

ホンデは美術で有名な弘益大学の近所のエリアで、シンチョンの人と店とで溢れている喧噪とは異なり、静かでアーティスティックな雰囲気のエリアである。おしゃれなカフェやテラスのあるレストラン、そして絵画店などが沢山点在し、歩くだけで目にも楽しいところである。そんな中にあった一つのお店、友達のウニョンちゃんがネットで見つけたカフェへと行って来た。四人で美味しいカフェラテ・アイスティ・ロイヤルミルクティ・ビールに、クリームチーズケーキ・ガトーショコラを皆で味わいながら語らったのだった。「うーむ、なんとも凝っていて味わい深いケーキに感動、そしてドリンクもサービスもグッド、雰囲気もしかり!」なんてカフェマニアの私はまたもや批評家と化していた。

そして友達と韓国語、英語少々で語らっていたらとっても楽しかった。美味しいもの大好き美食家のウニョンちゃんはファッション、料理、旅行などなど、もっと海外で勉強したいことや興味がまだまだあって困ってしまうと嘆いていた。それはとても幸せなことに映るし、心から応援したいわ!と彼女の夢が叶うよう念ずる気持ちになってしまうほどである。私は、何事も前向きに、向上心を持ってまい進する女性が年齢に関わらず大好きなので、彼女のように才能と夢を持ち合わせている子にはとっても感心するし、大いに刺激を受けてしまう。「いいねいいね・・・」おばさんのように、目を細めながら微笑ましく感じていた私である。

そしてその韓国人の友達は今度シドニーに留学する予定だと言っていて、今一生懸命英語の勉強中ということだった。もう一人のスウェーデン人の友達は、まだたったの18歳のなのだが、世界中を見聞していて、英語、スウェーデン語、フランス語が堪能な何とも奥深い男の子であった。更にその後、ウニョンちゃんの友達の男の子もカフェへと駆けつけてくれた。彼は現在ソウル大学の大学院生で、物腰穏やかでとっても素直な感じのいい男の子だった。人のいい彼は、ウニョンちゃんが韓国人の友達を、「この子は日本人だよ」と言って、英語で話したりさせていたのだが、彼は最後まで気づかず一生懸命会話してくれ、他の四人は可笑しくて笑いが止まらなかった。才能溢れるウニョンちゃん、友達も多才な方が多いこと・・・人から受ける刺激と学びは数知れないのである。



そんなこんなで歳の差も関係なく、色々な言語を飛び越え語らっていたら、時間はあっという間に過ぎてゆき、その後皆でアイスクリームを食べに行ったのだった。ホンデエリアは、夜になってもシンチョンとは違ってよりおしゃれに賑わっている雰囲気だった。可愛らしいお店や雰囲気のいいカフェがまだまだ沢山ありそうである。更にここはナイトクラブやジャズバーでも有名なエリアなので、そんな場所を覗きにまた改めて行きたいなと思った。




                            

                                              May 30, 2005

                  
コリアンウェディング
 
五月晴れの爽やかな天候の日曜日、こちらで初めて韓国人の結婚式へと行くこととなった。以前友達のドーウォンの大学時代の友達の飲み会に誘ってもらっていった際に、ちょうど翌月に結婚式を控えたカップルが来ていて、初めて会った間柄にも拘わらず、「ぜひいらしてね〜」とご招待を受けたのであった。日本とはスタイルがかなり違うという話はかねてから聞いていたのだが、実際本当に韓国文化を感じられて興味深かった。

その日は新村から何度か地下鉄を乗り継ぎ、少々遅れ気味に到着したドーワンと合流し、最終的に約1時間強かけて移動した後、結婚式場へと到着したのだった。「遅れる遅れる〜」と途中何度も走ることになった私たちは、式場へ着くなり汗だくで、なんだかちょっとばかり緊張していたこともあって呼吸を整えるのに時間がかかった。しかし、到着したときは結婚式は半分終了していてなんだか拍子抜けしてしまった。大事な場面を見逃したような気がして「オッパ〜何故遅れたのっ?」と少々ドーウォンを責めたい気分がやまやまだったのだが、その後彼の友人たちが思い思いに歓談している輪に入ってしまうと、なんだか久しぶりに同世代の人たちに会えた嬉しさと、韓国語を話さねばと頭をフル回転する忙しさとで、気づけばそれも忘れていた。

そしてすぐに近親者の写真撮影タイムという場面にさしかかっていたため、私は気を改め、カメラマンのように全身で姿勢を変えながら撮影に集中していたのだった。なんだか花嫁が格段に美しくて本当に惚れ惚れして見入ってしまった。人生の吉日というのは万国共通の幸せなのね、とカメラのファインダー越しの花嫁をしみじみ見ながら自然と顔がほころんでしまう。なんだか以前会ったときとは印象が違ったので、改めてこぼれんばかりの彼らの幸せになんだかこちらまで嬉しくなるような気持ちにさせられた。そしてそれを囲む皆様の笑顔もなんだか韓国らしくてよかった。表現豊かな韓国人の方々、みな白い歯をあらわに、素のままの笑顔がなんとも素敵だった。一観客のような気分で見ながら撮影に興じていた私は、気づけば本当のカメラマンのカメラの三脚の真横で撮影していて、今思うとちょっと図々しく謎な人だったかもしれない。花嫁がにっこりしながら目礼してくれて初めて「あらま・・・」と気づいてしまった。なんとも興味深くて、皆がこちら側を見ていることすら忘れていたのであった。

それからその状態のまま花婿花嫁が数歩前に出て、ブーケキャッチであった。こちらでは、あらかじめ決まった男性と女性が前に出てきて、花嫁がその方めがけてブーケを投げるのであった。韓国では、ブーケをキャッチした人は、6ヶ月以内に結婚しなければその後10年結婚できないというジンクスがあるのだという。まぁ、この間テレビでこちらのある芸能人の盛大な結婚式があったのだが、その際チェ・ジウがキャッチしていたではないの・・・なんてことをふと思った。なんだかこちらでは特に恋愛など何かにつけてジンクスがあるのが面白いが、時に笑えないものもあるので要注意である。それにしても、花嫁の友達は、しかとキャッチしていたが、きっと彼女にも近いうちに人生最高の日が訪れるのであろう。皆の前で誓いのスイートなキスなどをして、後ろにいた招待客皆も一緒に歓喜のヤジを飛ばしたりと喜びの空気で一杯で、こんなときにも韓国人の皆さんは、形式ばらずに、ただ思うまま祝福の表現をするところがなんだかいいと思った。

その後食事会場へと移動し、ビュッフェ形式で色々な食事を楽しんだ。それにしても驚くのが、この会場は他の結婚式と合同のようで、様々な人が入り混じり、なんだか雑然とした感すらある時間でもあった。こちらでは、結婚式場に、200人、300人の客が来るということも普通なのだというから、それも当然である。袖振り合うも他生の縁という意識がある韓国では、結婚式は近しい人からそうでない人まで大勢の客を招待した上で挙げるものだという。だからこそ私もこうして式を見ることができたのだが、本当にこのように人とのつきあいを大切にする韓国人はいいなぁと実感した。そして、一般的にこういった結婚式場にて式を挙げることが多いのだというが、リッチな方々はホテルウェディングで盛大に挙げるのだという。式自体は正味一時間もあっただろうか、とにかく段取りが早いというか、儀式的なものがメインで、宴の部分があまりないような印象であった。しかし、親戚の方々が着ていた色鮮やかなチマチョゴリなどを見ると、やはり韓国だなぁという実感をさせられた。見ることができなかったのだが、結婚の儀式の際は花嫁が頬に丸くて赤いもの貼り、両両親にひざを突いて礼をし、その後、花婿が花嫁をおんぶして歩くのだという。これは本当に韓国文化だなぁと思ったので、いつかまた機会があれば見てみたい。

その後、新郎新婦が式場から直接ハネムーンへと出発するのだが、それを見送ってから、一同は二次会会場へと移動した。まだ昼過ぎの明るい時間だったが、ソジュなどを飲み語らったのだった。こんなとき、本当に韓国人は、常に皆に気を使っていて、常に冗談を言い空気を和ませる精神が旺盛だなということを実感する。思うに、韓国人は冗談が好きな方が多いと思うのだが、たまにそれがきついものもあるので驚くことがある。話のノリで、その場にいた女性が女優の誰だれに似ていると思うな、と言ったところ、「目大丈夫?」だとか「病院行ったほうがいいんじゃない?」なんて笑いながら言われてしまう。「私にも大概失礼だが、言った相手にも失礼ではないの」と焦りつつ、もう結構慣れてしまったが、こちらでは「〜で死にそう」なんていう表現も多かったりと、なんだか日本より表現の度合いがきついところが興味深い。そんなこんなで、皆私が言葉をわからずに退屈してはいないかと、何度も気遣ったり、言葉を投げかけてくれるので嬉しかった。そして、みなさん常にだれしものグラスが空くとはないほど、すぐにお酒を注ぎ、注がれ・・・こういった部分は日本とも似ていると言えるだろうか。こちらでの気遣いの仕方は何だか心地いいと思う。

その日はその後夕方、ドーワンの地元友達の誕生日ということもあり、その後インチョンへ移動してから皆でインチョンの名物フェ(刺身)を食べに行った。昨年末に旅行で来たときにも会った友達と半年振りに再会したのだが、「お〜韓国語うまくなったな〜」と感心されて嬉しかった。驚いたのだが、「ししゃも」、「あなご」の名称が韓国語とまったく同じだった。この名詞は日本語から来ているのだろうか、こちらに来てますます言葉の距離が縮まるのが楽しいと思った。ともあれ、この日はソウル市内を二度ほど縦断する移動をしつつ、結婚式を見てお祝いし、インチョンで誕生日をお祝いしたりで一日中「チュッカハムニダ〜」の日であった。




                          


                                               May 20, 2005

             
    大学路へお出かけ


つい最近まで雨が降ったりと不安定な天候が続いていたソウルだったが、その日はそれがウソのように晴れ渡り暑い一日だった。私は学校が終わった後、クラスメートのダーフィンと一緒にテハンノへとバスでお出かけしてきた。

彼女とは年齢が近かったことや、中国へ興味を持っていること、そして今とっても香港へ行きたい!と思っていることなどが偶然共通していて意気投合した友達である。キュートな笑顔からは想像がつかなかったが、彼女は中国にも2年間留学していたことがあり、今回留学で初めて韓国を訪れたというのだから見かけによらずなかなか行動的な女性だなぁと思った。韓国留学後は、日本へ行って日本語も学びたいと考えているというのだから、そんな行動力とバイタリティにとても刺激を受けてしまう。そんな彼女と一緒にテハンノのちょっと洗練された空気を感じながら、語らっていたらとっても楽しく時間を忘れるほどだった。

アメリカ人のダーフィンは、つくづくクラスの他生徒との間に上達の差を感じると言っていた。本当にそれは無理もない話だから、「自分のペースで頑張れば大丈夫よ〜」と、自分にも言い聞かせつつ彼女を励ました私だった。「今ようやく日本人や韓国人が英語を勉強する大変さが理解できるよ」と彼女が言っていたのが興味深い。学校ではレベル分けこそされているものの、会話力はまちまちで、実際同じレベルにいながら明らかに会話が自分よりずっと上というような子もいてなんだか焦燥に駆られることもしばしばである。しかし実際、ついつい英語でばかり話してしまうという彼女は、「一日の95%を英語で話してしまうの」と話していたが、かく言う私も一日に80%は日本語だわ・・・と情けなくなってしまうほどである。語学留学では意識的に現地人と関わらないとこうして留学生同士で母国語に偏ってしまうことはよくあると思われる。しかし、個人的に私は彼女と英語で話したり時折学校で習った最上敬語の韓国語で話すのはそれで楽しい。

日本人にとって韓国語習得は、他国の人々より遥かに有利な要素が多いことは事実だろう。そもそもモンゴル語・韓国語・日本語は同属言語といわれており、文法などにおいて、明らかな類似性がある。そのため、実際勉強していて似ているなぁと思うことも多く、特に漢字で表記する熟語などはほとんど同じ意味で、読み方こそ韓国語の読み方であれ似ているものである。そもそも韓国では漢字の読みがほとんど一つしかないので、一度読み方さえ覚えてしまったら後は応用して読めば通じる。似ているからこそややこしいこともあるのだが、やはり日本人の上達の速度は明らかに他国の留学生のそれに比べ明らかに早い。私は今まで何年も英語を勉強してきたのだが、今回韓国語を勉強してみて、本当に違う言語を勉強してきたのだと改めて実感する。英語を話すのは、何と言うか思考の概念が違うなぁと思うからだ。文法うんぬんのレベルで考えればそれは明らかなのだが、私の率直な印象は「思考方式が異なっている」のだなぁと言うことである。だからそういう意味で全く違う性質の言語を自在に操る人が世の中にはいらっしゃるものだが、そういう人はきっと言語中枢がよほど発達していて、普通の人が使わないような脳の分野を使っているのだろうと思う。経験的に技能として身についてしまった人はとても羨ましいと思うし、努力して習得した人は本当に素晴らしいと尊敬してしまう。

その日は二人でテハンノを散歩した後、ドーウォンとと合流し、その後更にダーフィンの友達とも合流して四人で飲み屋へ行った。そこは二人乗りブランコスタイルのシートのテーブルがあり、そこで時折ゆらゆら揺れつつ飲み語らったのだった。今思うとこういうシートは、客を早く酔わせる仕組みということなのだろうか?韓国の喫茶店や飲み屋などはインテリアが斬新で凝っていて遊び心満載でとっても面白い。以前各席リクライニングチェアの喫茶店に入ったこともあるのだが、そこにいた客みなゆらゆら揺れながら談話に興じている姿がなんだか滑稽で、これはなんだか仲良しの人とでなければなんだかおかしくてたまらないだろうなと思った。

話は戻り、ダーフィンの友達のジョーは、香港在住の韓国人で、実に英語、広東語、韓国語がパーフェクトな何とも羨ましい人で、更にユーモラスで多趣味なひとだった。現在韓国在住の両親に会いに、一時帰国しているということだったのだが、ダーフィンとは共通の友達の紹介でその日始めて会うとのことだった。四人では常に英語、韓国語で語っていたのだが、ジョーを介するとみなそれぞれ理解できるというような歩く翻訳機みたいな人でつくづく感心してしまった。そして時折韓国語で話す私とダーフィンにドーウォンとジョーは色々と指導してくれて面白かった。教科書どおりの「〜イムニカ・〜ハムニカ」で質問したりするたびに「それは自然じゃないよ」と失笑気味に指摘された私たちである。私は日本語に置き換えてみてそれが何となく分かる程度なのだが、英語には敬語の概念がないので、ダーフィンのようにそういった言語が母国語の人々にとっては難しいだろうと察する。そんなわけで、楽しい時間は過ぎていったのだった。また違ったことを学び、頑張ろうと新たに思った楽しい一日であった。

写真は、店員にシャッターを頼んだところ、なぜか二枚撮っていてその違いが面白かったので載せてみました。



                             



                                               April 25, 2005   
                  
 ヨンサマに会った夜

ソウルへ来てもうすぐ約1ヶ月が経とうとしている。そろそろ生活にも慣れてきて、楽しめることも多くなってきたと感じる今日この頃である。そして、ソウルに来てよかったなぁと改めて思える時間を過ごすことができた。

先日、延世大学の野外コンサート場にて行われたコンサートのチケットを運よく手に入れることができ、こちらで初めてライブというものを見ることができたのである。それだけでもずいぶんな運だなぁと思うのだが、このライブ、ぺ・ヨンジュンの新作映画の撮影も兼ねたライブなのであった。かねてからこのイベントの噂を日本人学生の間で聞いてはいたのだが、実際韓国人の友達に聞いてもあまり知らないと言う人が多く、直前まで行けるのか分からない状態だった。が、行動的で快活なクラスメートのお陰でチケットが手に入り、運よくこのコンサートを見ることができたのだった。

何とも不思議な興奮だった。普段はまじめな雰囲気の学生が数多く歩いている大学のメインストリートはその日、大勢の日本人観光客のおばさまがたで埋め尽くされ、更にテレビカメラなども多く待機しているような何とも非日常な雰囲気でいっぱいだった。ヨンサマを見るために、わざわざ日本からいらしたのね・・・そう思うと、改めてヨンサマのカリスマ性や引力をまざまざと見せ付けられた気がした。「私もあれほどの年齢になって海外まで行って追いかけられる人がいるだろうか?」そんな情熱はある意味とても羨ましいし、この上なく可愛らしいなぁと思ってしまう。近年そんな気持ちを抱いたことがない私は、なおさらそう感じてしまう。「いいなぁ私もそんな熱意が欲しいわん・・・と言いつつ、この間ニコラスを見に行ってしまったんだがね・・・うふ。」なんてことを思いながら、これから始まるライブ観覧に胸が躍るのを感じていた。

それから、そろそろコンサート開幕かという頃、突如ヨンサマが現れたのだった。予想外の登場に、会場が一瞬パニック状態になり、私も気づけば「お〜本物だよ〜」と興奮して叫んでしまっていた。彼は撮影の為、STAFFと書かれたジャンパーという出で立ちで出てきたのだが、なんだか群がる人々のなかでも彼の存在は一目瞭然なほど目立っていて、とてつもなく強いオーラがあるのを感じた。その方の魅力はさておき、アジアでこれほどの女性を魅了する彼の引力たるやものすごいパワーだなとつくづく思った私である。私にとって、ヨンサマを見た感激よりも、彼の人気のカリスマ性を見たことの方が大きな衝撃であった。これだけのオバサマの視線とハートが偏に彼に集中しているのである。オバサマ方、おそらく日本に家族の方々を置いて、その熱意でわざわざこの韓国まで駆けつけてしまっているという事実・・・本当にヨンサマはタダモノではないなと思った。

写真では鮮明に分からないかもしれないが、世間によくいらっしゃるそっくりさんではなく、本物のあのヨンサマである。スタッフジャンパーにジーンズというラフな出で立ちでいながら、その有名なマッチョな体型がよく分かるほどがっしりしていて凛々しく、あの神々しい笑顔もテレビで見たままであった。この日はこのコンサートでの撮影という設定のために、上演中ヨンサマはずっと会場中央にあった演出スタッフの機材の場所にいるという何とも不思議な状況であった。前方席のオバサマ方はヨンサマが気になってしまいステージを見られず、何度もスタッフからの注意が出るほどで、更に写真撮影も禁止されてしまった。しかし、本当に好きな方にとって、本物を目の前にして、見ずにはいられないものだろう・・・「無理なことを注文するものだねぇ。」とつくづく思った私だった。かく言う私も、ヨンサマが自分のほうを見るたびに無意識に手を振ってしまっていた。

それにしてもコンサートが始まるなり、また違った興奮と感動が沸き起こってきた。韓国ポップスは力強いバラードシンガーが多いようで、なんとも情感豊かに美声を聞かせるシンガーたちにすっかり聞きほれてしまった私である。どんな曲が人気であるか、是非下のサイトで試聴してみてほしい。なんだか韓国人の情感をうかがい知ることができるようである。中でも日本でも人気のSHINHWAのメンバー、イ・ミヌのステージは印象的で、セクシーなダンスと歌に悩殺された女性が私を含め数多くいた。若い子達に混じって、私も黄色い声援を送ってしまった。更に90年代後半を思わせるダンサブルな音楽のジュエリー、ソウルフルな3人組の実力派シンガーS.G. wannabe、そしてトリを飾ったバラードの大御所チョ・ソンモなどなど・・・何とも多彩で聞き応えあるステージが続いたのだった。映画撮影が常に続行中だったため、時折撮り直しや歌いなおしなどのもどかしい場面もあったのだが、最終的に約5時間ほど続いた何とも面白いコンサートであった。

コンサート閉幕後、ヨンサマがステージ上へ上がり、案の定日本から来た家族(ファン)の方々へ・・・と何とも丁寧に礼儀正しく挨拶したのだった。外は寒く、時折小雨が降るような中、ヨンサマもきっと疲れていただろうに、大きく手を振り、深々と挨拶する様は何とも誠意があって、本当にこの人はできた人だなぁと更にオーラを印象付けられた私であった。耳がじんじんしてしまうような興奮の中、友達と余韻に浸りながらハスクへと帰ったのだった。

http://world.kbs.co.kr/japanese/enter/music_top.htm
         




                            


                                               April 18, 2005
               
    サッカー観戦


こちらにも先週末ようやく桜前線が到達し、ようやく春を感じられるようになったソウルである。写真は下宿から徒歩5分弱の近所の通りで、賑やかに咲き乱れている桜が美しい並木通りである。この周辺はただでさえ繁華街のようになっていて週末などはものすごい人でごったがえす通りなのだが、その賑やかさに劣らず桜は華やかに咲き誇っていて目を奪われるほどだった。

そんなある日、同じ下宿にいる日本語を勉強中の友達に誘われ、彼の友達と3人でワールカップ競技場へとプロサッカー(Kリーグ)を観戦してきた。彼とは食事の際に偶然日本語を勉強していると言うことが判明し、ではこれからお互い教えあいましょうということで仲良しになった下宿仲間である。

友達は現在大学生で、半年前に日本語の勉強を始めたばかりと言うのだが、努力の賜物なのだろう、知識がものすごく多くてとても感心してしまう。韓国人は漢字を日常でほとんど使うことがないため、知らない人がほとんどなのだが、彼は何とも難しい字までよく知っていてすごいなぁと思う。現在ハングルと言う自分にとって新しい文字を覚えた私だが、実際使いこなすとは容易いものではないと実感する日々である。しかしゼロから漢字を勉強するのは、恐らくより大変だろうなと思う。本当に、海外で出くわす外国語の上手な方々に会うたび、自分の努力の足りなさを実感してしまう。そして彼の友達は、現在延世大学の医学生で、見るからに知的なオーラ漂う静かな人だった。そんな彼らと中華料理屋で腹ごなしをしてから、競技場へと向かったのだった。

ソウルは本当に交通の便がいいもので、シンチョンからバスを使ってほんの15分ほどで到着した。過去に、地元札幌で数えるほどしかサッカーを観戦したことがなかったため、こちらで見る試合はどんなものなのだろうととても会場へ着くなりとてもワクワクした。競技場は、2002年のワールドカップの時に建設されたとのことで、さすがに施設もかなりしっかりした素晴らしいものだった。サッカー好きの人々の波にのまれながら、競技場内へと足を踏み入れる。場内の美しく整備された芝生が目にも鮮やかだった。

この日の試合はFCソウル対スウォンサムソンブルーウィングスで、ホームゲームのためFCソウルの応援が明らかに多かった。しかし、対するスウォンサムソンは現在Kリーグで2位に位置し、サムソンという大企業がスポンサーということで強いと定評があるチームだという。確かに、外国人選手が多い印象であった。試合中、ワールドカップにも出ていたという有名な選手を、友達が何度も教えてくれていたのだが、あまり分からなく申し訳なかった。ワールドカップでは大好きなアンジョンファンしか見ていなかったのだからひんしゅくものである。

感情表現が豊かな韓国人の観戦模様は想像に難くないだろう。子供から老若男女、みな賑やかに、時に罵声を浴びせながらとその雰囲気だけでも楽しめるほどだった。試合はなかなかエキサイティングなもので、時折乱闘が起こりそうな緊迫した空気もあったりと、常に目を離せないような面白い試合だった。結果、ソウルFCが1点ペナルティを決め、1−0で勝利を決めたのだった。ストライカーが盛んにゴールを脅かすような手に汗握る韓国らしいプレーに、すっかり見入ってしまった私だった。

韓国人は本当に同族意識が強く、団結力が強いという印象がある。勝利の瞬間、ワールドカップのとき、赤いシャツを着た民衆が広場をいっぱいに埋め尽くしていた場面を思い出した。また一つ韓国を知ることができた意義深い一日であった。




                           

                  
  
  
                                             April 05, 2005     
                      週末の外出 


こちらに来てすっかり留学生的節約ライフにそまり、ソウルへ来たというのに外出といえばハスク周辺を細々見てまわるだけだったのだが、週末気分転換にと初めてちょっとしたお出かけをしてきた。

ますシンチョンエリアで留学時代の友達に約3年ぶりに再会し、一緒にランチをしてきた。シンチョンの隣の駅のホンデエリアで働いている友達とシンチョンで待ち合わせをし、ランドマークのヒュンデデパート前で久々の再会をした。それから学生でごった返す通りを歩きながら、おいしそうな店を探し、トゥーブ(豆腐)料理のお店へと入った。そしてトゥーブチゲとビピンパを食べながら、懐かしい話に花を咲かせ、なんとも楽しい時間を過ごした。こうして久々に会う人というのは、その過ぎ去った間の時間を忘れさせるから不思議である。3年も経ったなんて信じられないほど、あれやこれやと会話が盛り上がって面白かった。彼は現在会社で海外出張が多く英語を使う機会も多く仕事が楽しいとのことで、出張先のバングラデシュとブルガリアがとても印象的だったと言っていた。しかしそんな風に韓国での仕事が充実していても、キャンベラでの生活を思い出すとやっぱり戻りたいなぁと思うとふと遠い目をしていたのが忘れられない。

同世代の彼は、日本のマンガや音楽も親しんでいたといい、「『シティハンター』は全巻読んだよ!」だとか、「友達に教えてもらってから工藤静香の音楽を聞くようになっていっぱいテープを持っているよ」なんて少年ぽく話していて可愛らしかった。カラオケで、持ち歌がなくなって後半などにふと歌ってしまう工藤静香の『黄砂に吹かれて』や『恋一夜』なんかの懐メロ曲も知っていてびっくり!であった。世代も同じ彼らがこんなに共通したものがあると発見できてなんだか嬉しく思えた。そんな彼は今度の出張で東京へ行くのが楽しみなんだ♪とイエーイのポーズをしながら語っていてなんとも微笑ましく、出張の成功を心から応援をしたいと思ったのだった。心優しい彼は別れ際、困ったことがあったらいつでも電話していいからね!とさわやかに言いながら去っていったのだった。何をやってもにこにこ笑って許してくれそうな優しい雰囲気が、リュ・シウォンみたいであった。

そして次の日は、ドーウォンオッパのいるインチョンへ行き、一緒に『今会いにゆきます(チグムマンナロカムニダ)』を観てきた。またまたドーウォンが駅まで車まで迎えに来てくれ、ドキドキヒヤヒヤしながら助手席に座っていた私である。それにしても、こちらで映画館は初めてだったので何だかワクワクしてした私であった。入館前、私はジュースを買ったのだが、ドーウォンはなんとイカの燻製(オジンオ)を買っていた。「なんかオヤジくさーい!」と言ったところ、「これ美味しいんだよ、ポップコーンは好きじゃないし」とふてくされたので更に爆笑してしまった。映画館でつまみを食べている人を初めて見た・・・本当に彼は愛すべきチングである。彼の天然っぷりに笑わされたこと数知れない。そして、映画館は日本と違って皆さんそれぞれ楽しんでいるのだった・・・結構思い切り笑うし、惜しげもなく「あ〜」と感嘆の声を漏らしたり、鼻を思い切りすすって泣いていたり。感情表現の豊かさの表れなのだろう、海外の映画館のこういうショーを見ているような雰囲気は結構好きである。

劇中、ちょっとは字幕を追って勉強したいところだと思っていたのだがそんな余裕はあまりなく、しっかり映画に見入っていた私だった。日本では昨年度3番目の興行収入だったというこの映画、確かに韓国人にも響きそうなピュアな愛の物語で、悲劇もあって感動させるものであった。私としては見応えはそれなりというのが感想である。ドーウォンオッパはとてもよかった、と率直な感想を言っていて、「あの子供がカワイかったねぇ」とも言っていたが、ちょっと分からない部分もあったと言っていた。

その後オッパのチングと合流し、サムギョプサル(豚の焼肉)を食べにいった。その友達は今弁護士を目指して勉強中なのだという。合格したら、お祝いに日本に旅行に行く予定だからそのときは案内してね、と言われ、そんな日が来るのは楽しみだなぁと思った。なにはともあれ韓国に来て英語で会話していてはいかんなぁとつくづく思った一日だった。正直私はハングルはもっと容易く上達できるだろうと思っていたのだが、何ともその壁を感じた休日なのであった。

ちなみにこちらで見た『今会いにゆきます』の韓国サイトはこちら、よくできています。
http://www.bewithyou.co.kr/


                          



                                          March 20, 2005

                    
癒しのドッグカフェ


雪国でも、ワンコたちはとっても元気!そんなことを証明してくれる、ドッグカフェでのひとコマである。最近、元上司のお姉さまに素敵なドッグカフェを教えて頂き、一緒に行ってきた。そのドッグカフェ、そこいらの普通の喫茶店よりもとってもハイカラで、雰囲気も凝っていて、素晴らしかった。カフェは、カウンターとゆったりできるソファ席があり、何ともくつろげる空気で満ちている。何より素晴らしいのが、このカフェの壁一面の大きな窓で、庭のドッグランを広く眺めていられ、また採光もいいという工夫の施しようであった。カフェに少なからずこだわりがある私は、今まで様々なカフェに行ってそのたびに、「ここがイマイチ」「ここがこうだったらねぇ」などと勝手に心の中で評価をしてきたものだったが、今回行ったこのカフェ、リクエストどころか、その斬新さにむしろ驚かされるばかりだった。一本も二本も取られた感があった私である。

このカフェ、まずはメニューもよかった。ドッグカフェのカフェは、大抵本業的なものではなく、よくあるランチのサービスドリンクのように、何だかとってつけた感が否めないものであったりする。しかし、ここのカフェ、値段も相応に様々なバリエーションがあり、またデザートも自家製の凝った作りで圧倒された。カフェラテを注文したところ、とっても美味しくて満足で、なによりビスケットがサービスで付けてある心遣いにまず一本!である。ちなみにサービスも好かった。席毎にリードを繋ぐフックがあるのも行き届いていて感心した。うーむやるね。カフェを味わいながら心地よいBGMのもと、ソファにゆったりとしながらお姉さまと語らう・・・そんな時間も楽しかった。カフェに置かれていた雑誌や犬関連の本も興味深い。犬図鑑や、犬占いの本なんかがあって、思わず犬占いの本にも読み入ってしまった。占いによると私はチワワタイプで、何だか興味深く納得してしまい、笑ってしまった。

そしてドッグランなのだが、入場するのに予防接種の証明書が必要であった。これはお姉さまに聞いていたため、私は忘れずに持ってゆき入場することができたのだが、こういったチェックは何だか安心である。ドッグランへ出る際は、ICカードでピッと機械に当てて入場する。何だか最先端技術をそんなところに発見してビビッてしまう。いやはや設備投資していらっしゃる。そして、外に出る手前のところで、糞尿用の大きなトイレがあり、ドッグランでワンコが用を足しても、ささっと片付けることができるようになっているのだ。ゴミに捨てるのではなく、そんな水洗の清潔な設備であるのもなんともよかった。本当に何かと気の利いたカフェである。

そうして外へ出ると、ワンコたちが思い思いに走り回る。ワンコそれぞれに性格があるもので、好奇心旺盛に他のワンコへ挨拶しに行く子もいれば、他のワンコに心を許さないお嬢様・お坊ちゃまワンコ、大きな体でパワーたっぷりに走る暴走ワンコ、飼い主と同じ髪型をしているアフガンハウンドなど・・・ワンコは少なからず飼い主の影響を受けているものである。犬同士にも相性があるのか、そのふれあいは見ていて本当に飽きない。うちのちっちはとにかくワンコが大好きでどの子にも興味を持つのだが、モモはどうにも他のワンコを受け入れなく、大型犬にすら吠えかかってしまい相手はびっくりして逃げてしまっていた。いきなりものすごい威嚇をするので、私もびっくりしてしまうほどなのだ。弱い子ほど気が強いとはこの子を見ているとよく分かる。モモの犬見知りは目下克服させたい課題である。

それにしてもこのカフェ、本当に気に入ってしまった。といいつつ、ちょっとばかり遠いのでまだ一度しか行っていないのだが、今度はもっとカフェを堪能しに行きたいなと思った。写真は雪の中遊びまわるちっち・ももと、お姉さまのフレンチブルドッグの海くん、そしてミニチュアシュナウザーのお友達である。

このカフェ、バーナードスクエアのサイトはこちら

http://www.bsq.jp/top.html


                            

                                          March 04, 2005


                 
     最高幸福的夜晩


「皆様、突然ですが、私このたび、この人と結婚することになりました。香港へお嫁に行きます。色々と大変なこともあるかとは思いますが、そこは私の持ち前のパワーで乗り切って頑張りたいと思います。皆様、香港に来ることがあれば是非お立ち寄りください。」

と、これ以上想像を膨らませるのは何かの法に触れそうなのでやめておく。が、まさにそんな心境で撮ってもらった一枚なのだ。恐れ多い、興奮して鼻が膨らんでしまった。何を隠そう、彼は香港の若手俳優、ニコラス・ツェーである。先日とある雑誌の企画に応募し、大好きな彼に本当にお目にかかれる機会に恵まれたのだった。人生は一期一会と言うし、こんなチャンスはめったにないだろうなと思った私は、超過密スケジュールの中、東京へと飛んだのであった。世は韓流ブームが吹き荒れているというのに、それも私の中ではどこ吹く風といったところである。

場所は東京ドームホテルのバンケットルームである。ウキウキワクワク楽しげな女性が集まる雰囲気の中、その時間はやってきたのだった。司会の方の紹介で登場した彼は、とてつもない存在感があった。何とも実際に見る有名人というものは、本当にオーラがあるし、表情に隙がないほど完璧な笑顔で素晴らしいものだと実感した。一人の人間が、多くの人に幸せを分け与えるような強いパワーを撒き散らしているのが目に見えるようだった。こういっては失礼なのだが、頭の先からつま先まで見渡しても一糸の乱れもないというか、欠点が見当たらなかった。そして、動きのすべてに華があって、すべてが絵になるフォトジェニックな人なのであった。いやはやかっこいい。日本にはいない雰囲気の方なのである。

広東語、北京語、英語と堪能な彼は、通訳を介しながらも、時折日本語を織り交ぜて、本当に礼儀正しく丁寧に話してくれていた。現在24歳の彼は、若いながらも16歳でデビュー以来、すでにキャリアを長く積んだベテラン俳優である。今回日本公開となる『香港国際警察』のプロモーションのために、ジャッキー・チェン、ダニエル・ウーとともに来日したのであった。なのでまずは、その辺りの撮影秘話や、状況など、映像を見ながら語ってくれたのだった。ものすごく危険なシーンもスタントなしで挑んだというのだが、その辺りを司会者が「これは本当にニコラスさんがやっていたのですか?」ときいたところ、「うん、本当。僕には双子の兄弟がいないから、全部僕がやったんだよ。」とおどけて話していた。うーむさすがである。香港映画の醍醐味ともいえるアクションシーンであるが、彼の表情を見る限り、恐怖も驚きもなかったかのように見えた、俳優魂である。実際映画はすごいのだろうなぁ・・・映画を見る楽しみと期待で胸がいっぱいになる。

彼はもともと歌手としてデビューしていて、本業は歌手とのことなのだが、今回は彼の新曲プロモーションビデオも流されていた。何とも多才な方である。個人的に、私は彼の歌が大好きで、以前台湾や香港に出張の仕事があった際は、もれなく彼のCDを買ってきたものである。現地ならではの買い物であった。何だか情緒があって雰囲気が好きなのと、聴くと滞在した街の思い出が蘇るのとで、ますます好きになってしまった。最近あまり聞いていなかったのだが、彼に会って以来以前にもまして聞いている私である。今聞くと、今度は彼に会った幸せな時間が蘇るようである。

そして、握手タイムだった。もう私は完全にメロメロなファンになってしまっていた。「今日札幌から会いに飛んできました」と、いざ彼を前にして、札幌なんて知らないだろうとそこをアピールと思い言ってみたのだが、今思うと恩着せがましかったかもしれない。しかし彼は、何とも誠実な態度で目を見て「サッポロ?あ〜・・・ありがとうございます」と和のスタイルで深々とお辞儀をして挨拶してくれたのだった。マイホームタウンをご存知だったのだろうか、だとしたら嬉しい限りである。いつかどうぞいらしてほしいものである。とにもかくも、彼との握手はきっと一生忘れられない思い出だろうと思った。優しく握って下さった手に、何だか今まで出会った事のないオーラとパワーを感じた。本当に舞い上がってしまい、何ともプレシャスな瞬間が自分に起こったのだなということを実感した。

それにしても、有名人とはこんなに謙虚で素晴らしいものなのだろうか。私のイメージではもっと余裕ぶっちぎりで、キザっぽくて、鼻で笑うようなアンニュイな雰囲気でも醸し出しているものなのかと思っていた。が、実際彼は、同世代の日本人と比べてとてもマチュアーな雰囲気すらあった。とにかく元気いっぱいなんていう感じでもないのだが、物腰穏やかで、時折少年のような表情や発言が飛び出すような何ともかわいらしいお坊ちゃまという感じであった。この彼、中国やアジア圏では想像も付かないほどの超人気者の俳優なのである。そんな彼にお辞儀させてしまったなんて、いいのだろうか。彼の記憶の中に、一瞬でも私の存在が刻まれたのだろうか・・・ここまで来るとちょっとマニアな気配すらあるのだが、とにかく本当に嬉しかった。

最後の彼の挨拶は本当に素晴らしかった。「今日は、中には遠くは札幌や大阪などから来ていただいたファンもいらっしゃって、本当に嬉しかったです」と英語で言ってくださった。札幌知っているのね、私の言葉を覚えていてくれたのね!と感動してしまった。そして「今夜のことは一生忘れません」なんてセリフを聞いた日には、まるで私に言っているんだわという錯覚に襲われて困ってしまった。蜜みたいに甘い映画仕立てのセリフにとろけてしまいそうになる。これは恐らく、よくライブなどで、目が合ったー!と自分や周りの人が皆ではしゃいでしまうような、そんなノリなので許していただきたい。しかし、本心はどうであれ、何とも熱いことを言って下さるものである。こうしてファンは深みにはまってしまうのだろう。しかし、一瞬でも酔っていることが楽しい夜だった。これからも彼を応援してゆこうと思ったアジア好きの私である。

ちなみに、彼の出演する『香港国際警察』のサイトはこちら
http://www.hongkong-police.com/



                            


                                          February 09, 2005

                     
旧正月の時期に


先日、暦の上では立春を迎えたながらもまだまだ寒い今日この頃であるが、そんな最中友達から嬉しいメールが届いた。アジアでは今も陰暦でのしきたりが残っているものだが、日本を除いて、ほとんどのアジア地域では今しがた正月をお祝いしているのである。日本ではこの時期、丁度ちょっとした連休があるので確かに休みは休みなのだが、旧正月を祝う人々にとっては、それは今も心機一転の意味合いのある時のようである。

友達から送られてきた新年のすてきなメッセージをみていたら、内心いまひとつタイムリーには響かないなと思いながらも、ふつふつ慶びと新たな奮起の気持ちが沸いてくる。ある友達は、こんな風にいっていた。「日々忙しく大変な毎日を送っているけれど、この正月に数日でも家族とゆっくり過ごすせて嬉しいよ。これから親戚や祖母に挨拶に行って、お年玉をもらうんだ。自分はまだ学生だからアリだと思っているんだけど、ヘヘヘ。」そんなかわいらしいメッセージだった。お年玉、あげるんじゃなくてもらうのかい、と突っ込みたかった。それにしても、文末に「夢が必ずかなうと信じています」なんて締めくくりがあったのを見つけたときは、もはや新年の誓いは先月立ててしまったので、今新たに・・・などという気持ちにはならないながら、改めて奮い立たせられた気がしたのだった。また他の友達からの、文字化けしまくっていた香港のサイトから送られてきたメッセージカードは面白かった。メッセージ中、カタカナの中に「臭」だとか「髭」なんて文字があって笑ってしまった。クリックしてカードを見ると、逆さまになった『福』の字が浮かび上がるこれまた素敵なメッセージで嬉しかった。BGMはとってもチャイナで妖艶な音楽である。皆さん、一緒に広東語風に読んでみましょう。


HAPPY CHINESE NEW YEAR!!!

"GONG HEI FAT CHOI!!"
(Congratulation on your fortune)

"HOP YIP CHUN BO"
(Success with your career/studies)

"SUM SURN SI SING"
(You will receive all your wants and wishes)

確かに彼ら、クリスマスこそ行事を楽しむなんていう雰囲気があり、韓国などでは年末近くまでクリスマスデコレーションが施され続けていたものだ。他方元日は、あっさりしたもので、ただのおめでとうというシンプルなメッセージのみだった。しかし旧正月は、帰省ラッシュが起こるような、一大行事なのだというから、その違いがうかがわれるものだ。私もやはりアジア人なので、こういう微妙な異文化にも肯定的に迎合されてゆきたいなと思った。新しい年を迎える時に、健康にそして実り多きを祈り、そして祖先に感謝して迎えるということは、共通の思いだと感じるからだ。

加えて先日、雪まつりをのぞいてきた。つい一年前はお迎えする側として運営に携わったため、改めていち観客として観覧してみたいと強く思っていたのである。それにしても、街中を歩いていると、この時期本当に海外からの観光客が増えていることを実感する。見るところ、アジアからのお客様が増加傾向にあるようである。昨年、台湾や香港でそのプロモーションをしたものだったが、少なからず功を奏した部分もあるのだろうかなどとふと思ったりする。台湾の子供たちに雪だるまを触って遊ばせてあげるというイベントへ参加し、抱きしめたくなるほど可愛らしく元気がいい台湾の子供たちを思い出す。実際雪というのは、触れたことがない人々にとってはとても珍しいものなのだろう。「雪の降る街札幌」と出身地を言うと、外国人でも元々知っている方や、それで分かってくれる方も多いものである。そんな人々の期待に応える様なイベントとして、雪まつりは今後も、楽めるおまつりとして盛り上げてゆきたいなと一市民として思った。そんな日々を過ごす今日この頃である。



                          

                                         January 28, 2005


                   
 イケメン談義


この頃面白い場面に遭遇する。たとえばこの間街を歩いていたのだが、そこで金融会社のティッシュを配っている男性がいた。特に気も留めず、ふとその場所を横切った直後に「まぁ〜」と実にハートマークが付きそうな感嘆の声を聞いて振り返ってしまった。おばさま方が、そのティッシュをもらって大いに感激しているのだった。「こんないけめんの男性に貰えるなんて〜、前は若いお嬢さんが配っていたわよね〜」そんなことを言いながら、連れのおばさま方一同そのお兄さんをしげしげ眺めてなにやら「わ〜」「まぁ〜」とため息をもらしているようだった。そのすぐそばの横断歩道待ちだった私はそのおばさまの声を聞いて思わず、「何々?」とその男性に視線をやってみた。確かにやや長身の、みなりのきっちりした男性に見え、恐らく社員と思われた。突然に「いけめん」などと賛美の声を目の当たりにしてびっくりしたのだろう。男性は赤面して当惑していた。

加えて、あるレストランでランチをしていたときのことである。ふと前の席でおしゃべりしているおばさま方が、黄色い声で楽しそうに話している声が耳に入った。「いや〜あの人、そんないけめんというわけではないのよ〜」・・・一瞬ラーメンが何か麺物の話でもしているのかと耳を疑ってしまうが、おばさまはその時間違いなく「いけめん」とおっしゃった。「イケメン話」で盛り上がっているのだった。

「イケメン」、おばさま方は何て粋な言葉を使っていらっしゃるのだろう。でもおばさまが言うと、なぜだかひらがなで聞こえてしまう。ちなみに女子高生などが、カタカナがちに「ウチのカレシチョーイケメンでさぁ〜」なんていうような雰囲気ではない。イケメン・・・ふと心の中で反芻してしまった。私の辞書にはなかった言葉かもしれない。使ったことがない。女子高生ブームでそんな言葉が流行っていたとき、私は女子大生だったし、その言葉が定着する昨今でも、もはや昔のように、男性の顔についてああだこうだ話すことがあまりない。同世代の女性と話していても、男性は、見た目より中身が大事という発想にすでにシフトされて、それで一致するので、見た目について論議されることはかなり少ないものだ。それに、「イケメン」も「いけめん」も、いずれにしてもなんだかしっくり来ない。なんだかどうしても麺を思い出す。微妙な年頃である。やはりその形容には「カッコイイ」というほうが、私の中の語彙的には一番当てはまる。

おばさま方の、男性にときめく乙女心がある産業を支えていることは明白である。おばさまキラーの男性はどの世界であれ、そこで絶大な地位を築くことまちがいない。貴公子だの王子だの、いとも簡単に冠がつくのだからファンタジーの世界みたいである。ヨン様がいい例である。この間妹と買い物に行って、本屋に寄ったのだが、そこにあった韓流コーナーに集まって立ち読みに興じているおばさまがたを見て、妹が「ファン様のヨンってすごいね〜」と言っていた。二人で爆笑ながら話していたので、混乱してヨン様とファンが逆になっていて、二人で更に爆笑しながら本屋を出た。笑ってしまったが、本当に凄いと思う。おばさまパワーが日本経済を支えている。ランチタイムのクラッシーなレストランは、どこもおばさまがたで埋まっているものである。そして、いけめん談義などしてうきうきしているのだから、これは凄いなぁと思う。旦那様はどう思っていらっしゃるのだろう。余計なお世話だが。

ところで韓国に行ったとき、食事などで同席した方にいつも「やっぱりヨン様が好きなの?」と聞かれたものだった。私はいつも、「いえいえ、私はチャン・ドンゴンが好きなんです」と答えていたのだが、韓国人は、日本人女性はほとんどヨン様のファンだと思っているようであった。思わず、「私の世代は、ヨン様はそこまで人気ではないのよ」と付け加え、世代の差別化を図ってみた。そこにいた女性も「私もチャン・ドンゴンが好きなのよ」と言っていて、「被った!被った」と思うとなぜか嬉しかった。とってもフランクなドーウォンにも「誰が一番かっこいいと思う?」と聞いたところ、「チャン・ドンゴンだね!」と答えていて納得したものである。確かに、彼こそイケメンだろう。ドーウォンオッパ的には、ヨン様はハンサムではないが、とても礼儀正しく好感度が高いとのことである。

それにしても、今回韓国旅行中、テレビで釘付けになってしまったイケメンがいる。カラオケでもドーウォンが振りつきで歌ってくれて、いいねぇ、面白いねぇと思っていたのだが、実際テレビで見てダンス、歌が上手でものすごくセクシーなアーティストだった。それが、上の写真のピ(rain)である。この人、韓国版マイケル・ジャクソンみたいである。ビヨンセをはじめ、ダンスができるアーティストが大好きな私は、どうにもこうにも時めいてしまった。なんともダンスがカッコよくてびっくりしたのだが、韓国はノリノリなダンスミュージックが流行のようで他にもそんなカッコイイアーティストがたくさんいた。中でもピは、飛びぬけて見せ方がクールで一気にファンになってしまった。私にとって彼は、おばさまがたのように、目をハートにしてキャッキャ言っていたい人なのであった。




                           


                                          January 15, 2005

                    
ソウル道中 その3


ソウルで楽しかった時間について少しずつ回想してみようと思う。まず、私がとっても感動した体験が、汗蒸幕(ハンジュンマッ)である。日本で情報収集をしていて、コースに様々な付加サービスや、割引クーポンがあることを知り、更にこれは是非とも行きたいと思っていた。私が興味を持った汗蒸幕では、日本語応対に加え、ピックアップサービスまでも行っていたのでなおさら惹かれた。電話をすると、「迎えに行きますがどちらのホテルですかー?」といわれ、そこいらのラグジャリーなホテルに宿泊していない私は、自分の宿泊先を説明できず、宿主さんに代わって応対してもらったのだった。そして、しばし部屋で待っていると、宿主さんが呼びにきてくれたので、礼を言って車に乗り込むなりとってもワクワクしてきた。コースが終わる頃にはきっと私、生まれ変わっているんだわ!と思うと期待が膨らみ嬉しくなってきた。こういう気持ちは女性の方には理解いただけるだろう。

実際、顔面のうぶげ抜きから始まり、汗蒸幕のサウナ、ヨモギサウナ、炭サウナ、全身泥パック、高麗人参風呂、アカスリ、キュウリパック、マッサージ、ミルクパック・・・はぁ、今思い出しても何とも気持ちよく、至福の時であった。終えた後の爽快感といったら、やみつきになりそうである。しかも店員の方々が何とも温かく、行き届いたサービスにも満足なのだった。その後サーブされたあずき粥とキムチスープが何とも絶妙で、本当に夢のような時間であった。もう、全身磨かれて、「私、脱いでもすごいんです」という懐かしいセリフを韓国語で分かったら言ってみたいくらいだった。実際言えやしないし、それは嘘なのだが。しかし、うぶげのない自分の顔のつるつる度といったらなく、以後、韓国女性の信条である素肌美人を私も目指そうと心に決めた程である。今韓国女性の主流はナチュラルメイクなので、ますます素肌美が重要というのだ。本当に、これは是非一度は経験していただきたい。汗蒸幕のために、またソウルに行きたいと本気で思っているくらいである。美意識の高い韓国人ならではの施設だなぁと感じられた。

また、ソウルで私が特に気に入った場所が、東大門(トンデムン)の次の駅、恵化(ヘファ)駅周辺にある、大学路(テハンノ)という地区である。もともとソウル大学があったが移転され、その後、ギャラリーやライブハウスなどが多く点在するようになった場所で、いつでも若者が沢山集まっていて賑やかなのである。私の友達、ドーウォンがここの地区で研究をしていたので、この周辺を色々と案内してもらったのだが、若者のウキウキした雰囲気が満ちていて、歩いているだけでも楽しい地区であった。メインストリートにはレンガ敷の歩道があり、カフェやレストランや飲み屋などがいっぱいに軒を連ねている。ドーウォンいわく、メインストリートの東側エリアはちょっと高めで、西側はチープな店のエリアだそうだ。それにしても、道路沿いに屋台はあるわ、お菓子屋さんやら、カラオケやら、ジャズバーやら、本当に賑やかで人も多く、楽しい場所である。ドラマや映画のロケ地になった場所も沢山あるということだ。また、ここのイタリアンのお店でランチをしたりもしたが、しっかりナムルの漬物が出てきて可愛らしかったし、美味しくて満足だった。またこうして見て歩くのが楽しい場所として、仁寺洞(インサドン)もおススメである。民芸品店や土産物屋、美術館が多くあり、私が行ったときは広場で民族舞踊をやっていて賑やかだった。

前述のテハンノで、ドーウォンと、『猟奇的な彼女』で、主人公の彼女が援助交際カップルを店から追い出して、焼酎を飲み、酔いつぶれるあのお店へと行ったのは楽しかった。『ソジュ・チャンヌン・サラムドゥル(焼酎を求める人たち)』という名のお店である。大好きな映画のその場所を訪れたのは、何だかとっても感動的だった。そしてカクテルソジュで「コンベ〜(乾杯)」して、チゲをつつきながら、あちらの干物などのつまみを肴に飲み語らったのだった。若者たちが思い思いに楽しんでいる姿を見ていて楽しかった。ちなみに、『猟奇的な彼女』の彼女は、韓国では珍しいタイプの女性ではないという話を聞いてびっくりした。しかし、そんな気の強い女性を守れる韓国人男性というのも、かなりに心が寛容で優しいのだろうと思われる。うらやましい。

それにしても、噂には聞いていたが、韓国人のソジュ一気は凄まじかった。本当に容赦ないし、飲み干した後「かァーッ」とか言いながらまたすぐ一気である。しかも、それで顔が真っ赤になってフラフラする人なんていないのだ。さすがの私も「ちょっとまったーっっ」と休憩タイムを取ってみたが、なにやらすぐ「何だかにコンベー」となるので、その輪を乱すわけにはいかなく参った。加えて、お酒の席でのマナーが色々あるようで、例えば手酌をさせてしまうと、福が10年遠ざかるのでご法度だという。それはドーウォンが教えてくれたのだが、福に敏感な私はちょっと嫌な話に聞こえた。10年もかい・・・。それに注ぎ足しはいけないだとか、目上の方の前での飲み方など。儒教の教えが脈々と受け継がれていることを印象付けられた。

そして、ノレバン(カラオケ)である。韓国で初めて行ったのだが、ほとんど日本と同じである。しかし、当然ながら、メインは韓国曲なので、面白かった。友達が、『雪の華』の韓国語バージョンを歌っていてとっても感動した。韓国のテレビドラマの主題歌で、男性歌手がカバーしていて、現在流行っているのだという。友達に、「え〜知っているんだ!」と驚かれた。何とも私にとってこの曲は、2003年の冬を思い出して懐かしいものである。それにしても、日本語の曲は結構限られていて、ただでさえ新曲に疎くなりつつある私は、あまり歌いたい曲がなかったので、ほとんど韓国語の曲に聞き入っていた。そして、猟奇的な気分になっていた私は、シン・スンフンの『I Believe』をリクエストしたのだった。韓国人がナマで歌うその曲に、何だか鳥肌が立ってしまうほど感動してしまった私だった。まったく泣けてしまう。ちなみに最近、この歌の歌詞の意味を知ったのだが、「本当に韓国人男性は優しいのねぇ」と感動しきりであった。またユーモラスな友達はこの後、韓国のアーティスト、ピ(RAIN)の歌を振りつきでなりきって歌ってくれたのだが、聞きながら堪えきれず爆笑し続けてしまった。ドーウォンオッパは、本当に面白くまた楽しく、愛すべきキャラクターの持ち主なのである。

またある日は、ドーウォンの実家がある仁川(インチョン)へと遊びに行った。ソウル中心部からやや離れ、電車を40分ほど乗って行ったところにある副都心みたいな街である。かなり海に近いせいか、ソウル以上に冷え込みが厳しく、外を歩くと顔面が凍り付いてしまいそうだった。ここの駅を降りると、ドーウォンが車で迎えに来てくれ、更にドーウォンの幼ななじみの面々と合流し、繁華街へと向かったのだった。ソウルでタクシーに一度も乗っていなかったので、このとき初めて助手席で交通状態を見たのだが、ウィンカーなしの強引な車線変更はまわりもドーウォンも当たり前で、しかもビューンと飛ばすので結構ヒヤヒヤした。普段は穏やかなドーウォンまでも、運転するとアグレッシブな人になっていてそのギャップに目が点になってしまった私であった。韓国では、ドラマでも見るように実際交通事故が多いようなので、内心タイでトゥクトゥクを乗ったときよりドキドキだった。ここで事故とかで記憶を失ってしまったら人生どうなるのかしら。私が滞在中に見たドラマでも事故で記憶喪失というエピソードをやっていたので、こういう話はかなり定番と思われるのだ。

話は戻り、インチョンの繁華街で、若者に人気の「プルタッ(焼き鳥)」を皆で食べた。これは鶏肉の激辛炭火焼という感じの料理で、写真にあるようなおこげ粥と一緒に食べるのだが、続けて2つと食べられないくらい辛かった。キムチ好きの韓国人が、「辛い辛い」といって食べるという料理である。さすがの私には堪えて、水を何杯も飲んでしまったがそれでも辛くて大変だった。しかし、炭の味わいが何とも美味しく、体が温まるので、辛いもの好きにはたまらないだろう、おススメである。

しかしこの日、終電で何とかソウル駅までもどったものの、そこから宿のある光化門までタクシーでもどらなければならなかった。過ぎ行くタクシーに「クアンファムーンッ!」と行き先を告げ、乗せてくれるか確認するのは、旅行者の私にとってかなり酷であった。韓国の夜のタクシーは相乗りが普通で、また他の人と行き先が合わないとあっさり乗車拒否されるのである。地元の方々に混じってタクシーに必死に行き先を叫ぶ自分は、何とも勇ましかったと今思う。冬ソナのヨン様のように、ささっとタクシーをつかまえてくれるような人が現れるわけもなく、本当に寒い中泣きそうなほど必死だった。結果的に値段交渉をして乗せてもらえたのだが、それはそれでなかなかスリリングな体験であった。



                          


                                          January 09, 2005

                    ソウル道中 その2


私は早朝、『板門店ツアー』へと参加するため、市庁(シチョン)にあるロッテホテルへと向かった。このツアーは事前の予約が必要だったので予約を入れたところ、年内の催行日の最終日が丁度私がソウルに着いた次の日であった。着いた翌日に、このツアーというのも少々気が重くもあったのだが、せっかくの貴重なチャンスと思い参加を決めた。映画を見たり、歴史などを通じて、38度線に少なからず興味を持った私は、是非この目で現在の非武装地帯を見ておきたいなと思ったのである。しかし、ここを訪れることは危険を伴うことであり、一人で参加する以上何だかやはり恐怖心はぬぐえなかった。あまりの未知な世界というか、何が起こるかは誰にも予測できない恐怖があったが、同時にそれだけ見る価値があるのではと思っていた。普通のツアーとは違い、注意事項も多く、写真撮影も制限されたりと、やはりどこか物々しい雰囲気が初めから漂っていた。バスに乗ってソウルを出て約1時間としない内に、板門店へとたどり着くのであった。

境界線のあたりは、ほとんど荒涼とした畑が広がり、民家もまばらな何とも寂しげな土地であった。境界線へ近づくにつれ、軍によるセキュリティチェックがあってそのたびにパスポートチェックがあり、より厳重な警備地帯へ近づくことを実感させられた。隣国であるこの国を、とても文化が似た親しみある国と認識していた私だが、実際このような場所を目の当たりにして、その歩んできた歴史や文化、そして彼らの持つであろう意識に、私が想像するより遥かな隔たりがあるということを感じてならなかった。川の向こうには北朝鮮が建設した宣伝村と呼ばれる無人の民家が見える。木がほとんどない冷涼とした裸地には、常に両国の監視の目が光らされているのである。そんな空気と、川を隔て望まれる北朝鮮の土地を眺望したとき、何だか言いようのない悲しい重みを胸に感じ、目頭が熱くなるのを感じた。それは過去のものではなく、現在もこうして休戦状態という形で歴然と存在しているという事実に何とも胸が締め付けられる思いがしたのである。正直なところ、そのような空気は今まで人生で感じたことのないほど重くのしかかるようなものであった。

そして、最終的に目指したJSA (Joint Security Area)では、何というか胸がもういっぱいになってしまう心境であった。この場を訪れる前に、ツアー参加者は誓約書にサインしなければならなかった。「どんな不測の事態が起ころうとも、申し立てをしません」という内容のものである。緊張と恐怖がピークに達してしまう。一秒たりとも姿勢を緩めない兵士が、目線を見られないためにサングラスをし、テコンドーの攻撃の体勢で凛と立って警備に当たっている。何度となく南北とで対話が行われてきたこの会議室に足を踏み入れると、冷戦による緊張、分断、対立などの悲しい歴史を痛感させられる。同じ民族の中で起こったこの深い分断の歴史が、ともすると日本で起こっていたらどんなに悲しいことだろうなと想像すると恐ろしくなる。今も南北分断による離散家族は、南北の自由な行き来もままならず、墓参りができないため、この38度線に向かって手を合わせることしか許されないというのだ。

その後、昼食にプルコギを皆で食べた。何だかとても温まり、美味しくて、それがまた何とも忘れられないほどであった。帰りのバスから望む風景はやはりもの悲しく、ところどころに分断の名残があるのを感じる。韓国人男性がこの休戦状態に即して二年半ほどの徴兵義務があることは周知のことだが、北朝鮮では、女性にも徴兵制度があり、さらに徴兵期間も何倍も長いということである。日本では過去の歴史の事実すら明確に認識し学ぶことも曖昧にされたまま、日々平和に過ごすことを当然のこととして暮らしている私であったが、このツアーに参加したことで見たものに、頭を思い切りがつんを叩かれたかのような衝撃を感じた。生きるということはどんなに重く、辛く、難しいことなのか。何だかそんな核心的なことすらふと頭を掠めてしまうのであった。

その日、帰りはまたロッテホテルで解散し、私はロッテデパート周辺や明洞(ミョンドン)周辺をふらふらと散策した。人ごみの中に、軍の迷彩服を着た休暇中の兵士と女の子が、つかの間のデートを楽しんでいる姿を見つけ、ツアー時の思いが蘇ってきた。何だかとても愛おしく、その若者カップルに敬意すら感じてしまった。その後、自分の宿近くで夕食を取ろうと、焼肉屋のようなレストランに入り、何だか悶々とした心を静めたくてビールもオーダーした。晩酌する女性一人の私を、隣のテーブルの会社帰り風の男性グループがちらちらと憐れむかのような目で見ていた。でも誰がなんと思おうと、私はこの日一杯飲みたい気分だった。「一人旅でただでさえドキドキしながら来た韓国だったが、二日目にしてこの恐怖を超えたらもう何も恐れるものはないわ!」そんな根拠のない強気な気分になっていた。ソウルの底から冷えるような空気が、一瞬和らいで感じられるようなほろ酔いのまま、宿へと戻ったのだった。




                            

                                            January 07, 2005

               
新春に思い出すソウル道中


年末の心が浮き立つような楽しい雰囲気や、せわしなさは、一年を締めくくるムードが高まっていいものである。そして、年が明けるとやはりどこか静まり返り、また一から始まるぞ!と新たに初心に帰るような気持ちになれるのもいいものだ。このように、人の心に大きな節目を作らせる暦というものは、何とも不思議なものだなと思う。今年は、初詣で引いたおみくじが大吉であったり、初占いへ行った先でも「今年はイイ!」と太鼓判を押され、更に細木数子の占いによると、やはり今年の運勢は良いようだ。何だかそこまで好い!といわれてしまうと、その好運を生かせるかふと不安になってしまう位である。しかし、やはり願わくば、今年は平和で、人々の心により平穏が訪れ、争いや天災のない一年であってほしいなと思う。そして、私自身も、健康で、いつも少しでも幸せを感じられる日々が送れられたらいいなと思う。

それにしても、私は未だ休み気分を引きずってしまっている。正月気分というより、年末に行った韓国旅行の楽しい時間である。ふと思い出しては、何だか浸ってしまうような感覚で、どうやら私はもれなく韓流熱に罹って帰ってきてしまったようである。旅行以来、何だか尋常ではないので、税関で、「東南アジア方面等を旅行した方は申告してください」というあの黄色い紙を提出すべきだったかしら。それは冗談だが、今回チケットのみを買って、ホテルも予約せずに飛んでいくようなちょっぴりエキサイティング&スリリングな旅行を敢行したため、とっても自由で快適だったし、多くの交流を沢山楽しんでこられたのである。

12月末のソウルの気候は札幌のそれと比べるとより厳しく冷え込み、風が痛いほどに冷たい。その前の年末にも訪れたソウルだったが、そのときは、この実情を知らなかったため、無防備な出で立ちでかなりに寒さにやられてしまったものだった。雪も降らないというのに、どうしてあんなに冷えるのだろう。今回は教訓を生かし、完全防寒対策をして臨んだのであったが、それでも大陸風なのか、あの冷たい風にやられ、結局道中で風邪を引いてしまった私であった。しかし、冬の韓国は、何とも幻想的で、ロマンティックで情緒があり良かった。

今回は、大まかな計画だけ立て、旅中、ツアーに二つほど申し込んでおいたものの、後はすべて気の向くままお気に召すままのわがまま旅行であった。実際インターネットで調べると、ずいぶんとお店やら観光スポットやらチェックできる。日本で韓国に関する情報を集めるのはいとも簡単なのである。迷って時間を無駄にしたくなかったのと、諸経費をできるだけ削って、イベントや食事や買い物で贅沢しよう!と決めていたので、事前にガイドブックでかなり入念に下調べをして行った私だった。なにせ海外のホテルは、大抵部屋単位での値段になっているので、一人というのはちょっと割高になってしまうのである。なので、今回は地元の方が宿泊するような宿を行き当たりばったりで取ってみようと決めていた。何はなくとも激安ツアーなのである。

空港に降り立って税関へ向かうと、すでに不思議な感覚があった。やっぱり似ている、なにもかも・・・なのに、言葉がよく分からないのである。ふと沖縄へ行った時のことを思い出した。あちらは文化や雰囲気が結構違うのに、言葉が日本語で、何だか日本語を話す外国みたい!と思ったのであった。韓国へ来た感覚は、何だかその逆みたいなのである。しかし、私の片言コリアンと、一応読めるハングルのレベルでどこまでやっていけるのだろう・・・始終不安な胸中の私であった。

それにしても、韓国の方々は一般的にとても親切であるし、普通の出で立ちでいれば大概地元人になじんでしまえるので、危険なこともないなと思った。空港からソウル市内へ向かうバスですら、地元人向けの一番安いものを利用したが何も問題はなかった。バス代に数百円を節約する自分もなんなんだろうと思ったが、ここは一人なのだし、後でプルコギなどたんと食べて進ぜよう、と自分に言い聞かせ、何でもできる限りの値切りに挑戦してしまった私だった。このちょっと得した感がいいのである。しかしやりすぎは、あとで余計な損失を被るハメになったりするので要注意である。

しかし、最終的に降り立ったバス停は、よく分からない場所であった。延々とアナウンスに耳を凝らしても聞き取れず、いよいよ、「光化門(クアンファムン)はまだですか?」と運転手さんに聞いたところ、どうやら、「そこは過ぎたよ、一つ前だよ」と、ジェスチャー&韓国語で教えてもらい、あわてて降りて、地図を見た。というか、自分がいる場所がイマイチ把握できなかった。寒空の下、いかにも旅行者です、道が分かりません、とばかりにスーツケースを横に、地図をオーバーに広げてみたが、さすがに「どうしたのですか、案内いたしますよ」なんて親切な人は現れなかった。実際、そんな人がいても怪しいのだが、とりあえず、ここは落ち着こうと思い、一人、カフェに入った。クリスマスと年末ムードがむんむん漂っていて、何ともハッピーな空気が私をさておき漂っていた。その後、私は地元の友達に携帯コールをして、何とか自分の居場所を把握し、待ち合わせ場所を聞き、その近くの駅まで、地下鉄に乗って何とか辿りついたのであった。

1年ぶりに会った友達は、相変わらず面白くて優しくてキュートな人だった。彼のキャラクターを説明するのは難しいのだが、本当に素敵な人である。すぐに駅近くの宿を探してくれ、やりとりもおまかせで、私はとても快適かつリーズナブルな宿を見つけることができてほっとした。その後、宿が決まったところで、一緒に夕飯を食べに行った。これまた地元向けで、メニューはすべてハングルのご飯やに入ったのだった。そこで、私は早速石焼ビビンパをオーダーした。友達は、なにやらご飯にキムチの炒めもののあんがかかったものをオーダーしていた。ただでさえ辛そうなのに、ナムルのキムチも更にパクパク食べている姿を見て、「お〜さすがだねぇ・・・」とやたらと感心してしまった。友達は、ソウル大学の大学院で研究している学生で、一昨年前に友達の友達として知り合った人である。約1年ぶりの再会だったが、変わらず近況を報告し合えたりして、なんだかとても嬉しかった。札幌土産のお菓子を、珍しがってとても喜んでくれた。私は、彼のとても純粋かつ誠実で、「いまどきこういう人、いるんだ」と感心せずにはいられないような、稀有な温かい人柄が何ともいえずいいなと思う。韓流が日本でブームになるその真髄を見てしまう気がした。そんな懐かしい再会を果たし、その日は早めに宿へ戻ってベッドに入り、しばしなにやら面白げなドラマを見たりしつつ眠りに落ちたのだった。


                            







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