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                                         22 November, 2006
                     
日々の中で


何だかこのぱっとしない天気が続くせいなのか、しばらく気分が重い日が続いている。やはり、朝日を浴びて澄み渡る晴れ空を見ると自然と気分まで晴れ渡るものだが、こうも冴えない曇り空や雨天が続くと、自ずと気分までそういう暗鬱としたムードになってしまうのだから不思議なものである。こんな天候ごときに気分を左右されてたまるものかいと気合を入れてみるが空回りしてしまうこの重さは一体なんなのだろう。

そんな中で、鬱々とした気分を吹き飛ばす方法は数あれど、スポーツ観戦は爽快な発散方法のひとつといえるだろう。自分は何の労もなしに、観戦しながらスポーツの疑似体験をしてアドレナリンを出すことが出来る。疑似体験とまではいかなくとも、多くの人と楽しい興奮を共有し、味わうことができる。元来そういったものを現場で臨場感をもって愉しむことが趣味のひとつであったのに、そんな当然のことを随分と忘れていたような気がする。先日北海道日本ハムファイターズの優勝記念パレードを見て改めて思った。

今季のファイターズの勢いはとどまることを知らなかった。常に目の離せない試合が続き、リーグ優勝したかと思えば、勢いに乗って日本シリーズ、アジアシリーズを制したのだから、その盛り上がりたるや尋常ではなかった。そしてパレードには14万人近くの人々が北海道中から集まって、札幌随一のメインストリートである駅前通り沿いを埋め尽くすこととなった。それはそれは、老若男女、押し合いへしあい、警備員の制止する声がヒステリックになるほど、その殺到振りは相当なものだった。こういった状況は、この札幌の歴史が始まって以来のことだろう。天皇陛下来札とあっても、こういったことは起こりえなかったのだ。

札幌で生まれ育ってきて、この地には元来プロスポーツなるものはほとんどなかった。90年代にプロサッカーリーグが全国にできていったときも、北海道にはもちろんなかった。長いこと、そういうものだ、という認識の中にあり、勿論思い入れを持って応援するチームなどもなかった。とはいえ、野球となれば、父の趣向の影響で日常的に夕食時に巨人戦を見て育った。そうしてプロ野球イコール巨人の図式が自然と刷り込まれてきたように思う。

そんな私がいつぞやこうして日本ハムを応援することになると誰が想像できただろうか。そもそも試合を楽しみにドームにまで足を運ぶようになるとは。それもこれも結局日本ハムへ移転と同時にやってきた新庄剛志選手の術中にはまってしまったとでも言おうか。そのパフォーマンスを見に、そして試合を見に、何か二度とないような貴重なものを見なければという気に駆られ、気付けば幾度となく足を運んでいた。あんなにも至近距離で選手を見て、一体感を持って試合を楽しめるということを私はまったく知らなかった。しかし、知るなりそんなことを知らなかった自分にものすごく悔しくなってしまうほどだった。「野球を知らない人たちにもその楽しさを知ってほしかった」という新庄選手の言葉どおり、私はまんまとそうなったわけなのだ。

勝利の姿ほど神々しく、見ている者に勇気を与え、奮い立たせるものはないものだ。だからそうして一連の勝利の模様を見守った北海道民は、この時期そういった感動を一杯に受け取り、身近に肌で感じたのだと思う。試合が進むにつれ、まるで現実感のなかった優勝の文字がくっきりと浮かび上がるがごとく、俄然現実味を帯びてきたのである。それが結果的にあのようなパレードが実現することになるなんて誰もが夢にも思わなかっただろう。プロ野球が根付いているとはいえないこの地で、今年は本当に熱狂的なシーズンが過ぎていった。

とはいえ、プロはプロである。どんなに熱狂的に入り込んで応援してみても、選手はFAだのとあっけなく他チームへと去って行く。せっかく選手の応援方法を覚えたというのに。そういう現実的なサラリーの事情が絡んでくるので、やはり私はプロスポーツにはどこか一線を引いてしまう気持ちも否めないのだが、ともかく今回の北海道日本ハムファイターズにはそれ以上のスポーツの面白さを魅せていただいたのでそれもよしとしよう。新たなチームとなる来季にまた期待なのである。


                        
      



                                                  
    7 June, 2006
                   
美容室で癒しの時間
 


毎日に大きな変化もなく取り立てて波風もない日々は、ある意味平和であり、大きな悩みやストレスを与えることもないものだ。しかし、明日、明後日、ひいては一週間後、一ヵ月後の自分が何となく想像できてしまうようで、何だか見えないレールに縛られているかのような息苦しさも同時に感じないでもない。ドラマのような出来事を常日頃求めているわけでもないのだが、やっぱり何かしらの変化を感じながらいたいという欲求が沸々と沸いてしまうのは贅沢なのだろうか。といってすぐさま何か劇的な変化を自力で起こせるはずもなく、まずはお手軽に自分に変化を求めて、結局美容室へと足を運んでみた。

美容室は私のお気に入りの癒しの空間のひとつである。日本の美容室は最高の癒し空間であると思う。そして世界に誇れる日本の文化の一つにこの日本の美容室も入ると私は密かに思っている。技術云々はもちろんのこと、流行の敏感さ、きめ細やかなサービス、空間の創意工夫意識等、総合的に見てもこれに勝る国はないと、少ない経験からでも信じ込んでいる。実際、日本人女性は海外でも流行に敏感でおしゃれだと評判なものだ。服装といい、メークといい、それこそヘアスタイルといい、こういった細かい部分を美しく整える、または個性を発揮するというセンスに長けていると私も思う。

海外に出てみると、会う日本人女性、特に日本を離れて久しい女性ほど、その雰囲気に日本人離れしてゆくのが明らかなものである。日本ではまずしないだろうなという美的感覚のスタイルであったり、日本の流行スタイルが微塵も感じられない違和感に捉われてしまったり。それはあくまで私個人の基準に当てはめて見るからなのだろうが、とにかくそういうときほどやはり日本の美容室は最高だなと実感せずにはいられなかったりする。

そのため、やはり海外に行く際にこの手の事で不便を感じたことは一度や二度ではない。どんなにスタイルを変えたい、ただ前髪をカットしてもらいたいと思ったとしても、やはりその場所でそんな冒険をするなんてと思いとどまったものだ。やはり私もいち女性なので、あまりに自分で納得のいかないヘアスタイルをしていたいとは思わない。なので、思えば未だに一度も海外でカット経験まではないのだが、それもある意味日本的スタイルに固執しすぎで柔軟性がないとも言えるだろう。しかし、美的センスというものは千差万別であるし、その上微妙な部分をうまくコミュニケーションをとりながら伝えるかという点でまず自信がないので仕方がない。

そんな訳で、美容室に関するあれこれふと思いつつ、近所の徒歩圏内にあるお気に入りの美容室へと向かった私だった。美容師とスタイルについて相談して、シャンプーをしてもらう。個人的にシャンプーは女性の方が好みなのだが、この日は見習い風の男性だった。シャンプーマン。何だか微妙に落ち着かなく、その上やはり細やかさがないところにやや不満を感じつつ、若者に身を任せる私。しかしシャンプーの香りにやっぱり癒され、静かに夢心地へ。思うのだが、「洗い足りないところはないですか」と聞かれて、「どこどこ・・・」とリクエストする人はいるのだろうか。大抵それはないし、あっても部位を伝えるのは大変そうだと思ってしまいそうである。とは言え、いつも夢心地のまどろみのなかでその声に起こされてハッとなる私なのだが、そういった気遣いのキャッチボールも心地いいなと思う。そして、洗髪後にマッサージをしてくれたりするのもかなり嬉しいサービスだと思う。

シャンプーが終わってカットが始まると、早速私は情報収集に取り掛かる。週刊誌から、ファッション雑誌から美術系、経済系等ありとあらゆる雑誌に目を通すのである。ある意味、日常であれほどの雑誌をまとめて読む機会はそうそうないだろう。私が美容室が好きな理由のひとつなのだ。そして、そこで気に入っているのは、必要以上に話をせずに自然な空間を作ってくれること、そして中間で気の利いた飲み物のサービスがあることなのである。そういう美容室はよくあるものだろうとも思うのだが、美容室に癒しを求めて行く私にとってそれは少なからず重要な要素であったりする。

美容師は、ほぼ仕上がったスタイルを調整しながら、私の髪の色をとても不思議そうに、「これは地毛の色なんですか?」と尋ねてきた。そういうことは一度や二度ではないが、「そうなんです」と答えると、本当に珍しいといわんばかりに、「いい色ですねぇ、こういう色はなかなかカラーリングを使っても出せないんですよ」と言った。確かに私は大学時代を最後に、一度もカラーリングはしていないのだが、そうしているとよく勘違いされるほどに人から見てトーンが明るいようである。それについて、取り立ててどう思ったことはなかったのだが、美容師さんの言葉は何だかさりげなく私を心地よい気分にさせてくれてよかった。

そんな訳で、今回ある意味お任せに作ってもらったヘアスタイルだったのだが、なかなか気に入ってよかった。それでも、自分では結構変わったなと思って家に帰ると、「どこカットしたの?」と言われてしまうから不思議である。  

                        
      


                                               20 May, 2006
           
       春を感じて

漸く札幌にも春が到来し、ここ数日で桜の木々は待ちわびていたように、この春の陽気を嬉々と楽しみ満開の花を咲かせている。やはりこういった桜の満開に感動してしまうとき、改めて日本人のアイデンティティを感じずにはいられない。繊細にどこか控えめに、しかし一斉に柔和な桜色の花を咲かせながらも、儚くその命は短くして散り去って行くその姿に、抗しがたいこの世のことわりを見るようである。

確かにゴールデンウィークもとうに過ぎたというのに、今頃漸くの春を感じるというのでは、本当に札幌は季節の経済損失が大きいのではないかという感に捉われてしまうほどの時差である。しかし春の穏やかな日々が瞬く間に夏の陽気に移ろいで行く気候とは異なり、ここ札幌ではこの状態がしばらく続くなか過ごせるのだと思えばそう悪くはない。何よりこうして長い冬が漸く終わって吸い込む春の陽気はたまらなく自分を奮い立たせてくれていいものだ。

今までゆっくりしてあげられなかった分をと、意気揚々と愛犬を連れて歩んでみれば、改めてこの地元の春を感じられて益々嬉しくなってくる。道路わきに萌えるツクシや、公園の芝生に所狭しと咲き誇るタンポポなど。そんな小さな芽生えにすら自分が奮い立たせられるようで、そんな散策も有益なものに思えてくるから不思議である。幸い実家は比較的原始的な自然がまだ多く残っている場所が近くにあるため、本当に心地よいほどの自然の芽吹きを五感で感じることができるのだ。

そんなわけで、この春の貴重なよい時期を大切にしたいと改めて思う。日本のこの4月に始まる年度というものは、新たな新年のようなもので、新たな気持ちを湧き立たせるものだ。どこにあってもどのような環境にあっても、そこでベストの時間を過ごすようにしたいと思う。その時その時でベストを尽くしたとは思いつつも、振り返れば自分で満足が行くようなことというものは到底ないものである。そんな時間は兎に角も積み重なり、容赦なく過ぎ行くものであるが、一番重要なことは、その時が自分にとって幸せな満足感を与えていることではないかと思うのである。

春というのはこうして毎年思い立つことが多い季節だからか、振り返ると本当にその年毎の春は昨日のことに感じるほどに、鮮明な記憶が残されている。春にまつわる思い出それぞれに、悲喜こもごもあり、心が浮き立つような記憶があり、始まりがあり。そんな訳で、様々な思いが交錯するこの春という季節に咲くこの桜の木に思いを馳せる中で、こうして自分が和を感じるアイデンティティの在り処を感じたとある春の一日であった。


                                 
                                 
 
                                              23 April, 2006
                 
チェジュ島の思い出 その2 


すでに韓国より帰国し、図らずも大分日数が過ぎてしまい、なんだかこの思い出話を今更のように書くのも何なのだが、すっかり忘れてしまわない内に回想しておこうと思う。済州島への旅。それは短い旅で、旅というのも微かに違和感を感じるほどなのだが、その間の時間は確実に忘れがたく深い記憶を刻ませるものだったなと思う。韓国にいて、まるで韓国のようでない土地にいるという感覚は、私の韓国に対する概念をすっかり打ち破ってくれる非日常な体験そのものだったのだ。

その二日目、私たちは観光タクシーのお迎えの元、まずは海岸を見に行こうということになった。済州島というリゾートに来ていながら、あいにくの雨。ソウルではそう強い雨に当たるということはなかったものだが、ここ済州島の気候はやはり異なるのだろう。その朝は、重々しい雲がすっかりと日光を遮断してしまっていて、当分止む気配を見せないほどであった。そんな幸先のよろしくない朝ではあったが、まずは私たちはこの済州島で有名な海岸へと運んでもらった。

降りしきる雨に加えて、傘をもまともにさすことができないほど吹きすさぶ風。三多島という別名の名の通り、本当にこの島の風は容赦ない。折りたたみ傘のような簡易傘であれば、即座に裏返されてしまい、そして柄もひん曲がってしまう。私たちは、車から降りて海岸を歩き出してみて程なくそうなってしまった。それはまるで、日本で経験する台風の前兆みたいな天候なのである。なんだかついてないなぁと思いながらも、白く美しい砂浜と、エメラルドグリーンに透き通った海水を見て見れば、あぁ南国に来たのねぇと少なからず気持ちは盛り上がってくる。それは本当に南国そのものの海水の透明度の鮮やかな青い海と、細かく白い砂浜が広がる海岸だった。韓国でこういう海を見ることができるとは思いもしなかった、と改めて思うのだった。

その後移動し昼食をとった。タクシーの運転手さんおススメのお店ということで、なにやら地元の方々ばかりが集まる食堂だった。そこで私たちは、魚介がふんだんに盛られた鍋で腹ごしらえということになった。なにやら通常見かけない魚介の多いこと、特に耳に当てればさざなみの音でもしそうな貝はとても大粒で、中身もボリュームたっぷりでかなりのインパクトだった。ソウルでは到底こういう料理にはお目にかかれない。鍋のスープもピリッと効いた辛味の中に、しっかりしみた潮の味わいがなんとも忘れられない味わいであった。見渡せばおばさま軍団が大きなテーブルを囲んでわいわい鍋をつついていた。彼女らは海女さんなのだろうか、とても威勢がよく男性的な強さを感じる雰囲気であった。

それから私たちは雨の降りしきる中、時間を惜しんで観光スポットを色々と見てまわったのだった。それにしても、とあるアクロバットショーを見たときは初め停電にも合いとても驚いた。これは結局その日の夜のニュースを見て、そんなことがあったと分かったのだが、チェジュ島は韓国の本土の方からケーブルで電力を引いているとのことで、そこにあるトラブルが起こったとのことだったが、そのときはちょっとばかり不安になった。何しろ観光地であるため、どこに行っても大抵観光客でいっぱいである。そいういった非日常に起こった更なる非日常によりパニックに陥るときの人間というものほど恐ろしいものはないと思う。まあそんなことも忘れがたい思い出となった。

また植物園は、本当に亜熱帯を感じることができてみていて飽きないものであったし、あの強い風に吹き削られてできた竜頭岩のある断崖はそれは迫力のある風景であった。気の遠くなるような時間を経て波に削られた岩と、今も容赦なくぶつかる波を見ていたら、何も言葉は出てこなくなる。ただその様子を見て、深く感じ入ってしまうのだった。そして、どこにいても感じたのはあの絶え間なく強く吹きすさぶあの風の音である。遠く海の向こうからヒューヒューと吹きすすり泣くような風声。そして遠くで絶え間なくあたりを照らし続ける灯台の明りもどこか潮風吹かれて淋しげなのであった。

夜は名物お寿司を食べた。ソウルで和食はほとんど食べることはなく、実は心の中で、「折角なのだから食べないようにしよう」なんていうことを決めていたりしたのだが、そろそろこれだけ頑張ったのだし、と特別解禁したのが余計そう感じさせたのだが、本当に久しぶりに旨いものを食べたという満足感をいっぱいに味わうことができる料理だった。韓国ですし屋に行くと、韓国式におかずの皿が次から次へと並べられ、これはメインディッシュが来るまでの待ち時間を感じさせなくさせ、また空腹感を和らげる助けになる。ここで出てきた料理もなかなかで、また出てきた寿司もなかなかよかった。北海道人としてはやはりネタの大きさが気になるところではあったが、何といっても異国で久しぶりに触れる和文化である。不満も何も喜びの方が大きかった。友達も、和食は魚を美味しく料理するメニューが多いねと絶賛だった。そんな風にチェジュでの時間は過ぎていった。帰国の日時は刻一刻と迫っていたのだった。


                                
                                 
 
 

                                           1 April, 2006
            チェジュ島の思い出 その1 


週末に、帰国前に是非行きたいと思っていた韓国国内旅行を実現しようと、チェジュ島へ飛んできた。ソウル以外の場所という場所を訪れたことがなかった私は、帰国前のこの休みの間に違った韓国を見ておきたいとかねてから思っていた。そして友達と思い立ってチケットを予約し、観光情報を調べ始めてようやくそれは実現したのだった。

このチェジュという島は、韓国の南端の太平洋に浮かぶ小さな島で、映画やドラマの撮影などの舞台にもよく使われるリゾート地である。別名『三多島』というのだそうで、それはすなわち石・風・女性が多い島という意味なのだという。確かに、見るからに文化も雰囲気も韓国本土とは全く違うようである。

空港に着くなり私たちは申し込んでいたタクシーツアーのお迎えの運転手と会い、思いもよらず高級車のタクシーに乗って早速ホテルへと向かったのだった。空港を離れると、すぐにトロピカルな植物が目に入り、ソウルから離れ南国へ来たのだなぁと思うと妙に心が浮き立ってくるようだった。タクシーの運転手のおじさんも、どこか独特なイントネーションの韓国語で話すので、それもまた異文化な感じで心地よい。このタクシーツアーは、貸切で行く場所を相談しながらツアーを組んでくれるものであるのだが、なかなかよかった。窓から見える風景がすべて興味深かったのだが、やはり目に付くものはいたるところにある石、吹きすさぶ風、そして女性の方々・・・。それにしても女性が多いというのは何か理由があるのだろうか。

その日は時間も遅かったということで、ホテルのバイキングで夕食をとることになった。その中で海鮮の炒め物料理があったのだが、ソウルと違ってやはり海鮮の大きさと鮮度が違って感動的であった。噂には聞いていたが、ここでは新鮮な海産を味わえるというのも大きな楽しみの一つなのである。それにしてもホテルの周りには店という店も何もない田舎風景がただ広がる場所だったので、その日は本当にどこにもいけなかった。石垣に囲まれた民家と畑の広がるこの土地で耳を澄まして聞こえるのは海から吹く風の音、そしてどこかでなく飼い犬の鳴き声くらいなものなのだ。そして時折車が通る程度である。

しかしそんな都会の喧騒をすっかり忘れられるほどのひなびた雰囲気はたまらなくよかった。食事後に友達とコンビニへ行こうという話になり、ホテルの前の海沿いの通りを歩いてみたのだったが、15分ほど歩いてみてどうやら延々とその何もない風景が続きそうだったので引き返すことにした。ただでさえ何もないので、なかなか経験することのない深い暗闇の広がる通りを波の音を聞きながら、そして満天の星空の下さまよい歩くのは、まるで非日常であり、それはそれで何ともよかった。最終的にホテルのロビーで近くの売店の場所を聞き、そこへ行くことにしたのだが、コンビニではなく古めかしい売店なのだがそれもよかった。

まるで語りかけてくるような多様な風の音を聞いたことがあるだろうか。このような海沿いの島のような場所で私は何度か聞いたことがある。ここチェジュでもそんな風の音が常に聞こえるようだった。耳を澄ますと、どこからともなく誰かがむせび泣く声のようにも聞こえる風の音。この浮き立つような明るい熱帯の空気の下に、どこか哀感が漂う雰囲気がそこにはあるようで、それは忘れられない旅の音として記憶に刻まれている。そしてソウルのような都会では決して見ることのなかった澄みきった夜空。その星空を見上げてみると、周囲の奥深い暗闇と風の音とに飲み込まれそうになる自分がどれだけ小さな存在であるかを思い知るようだった。そんなこんなで菓子を買い込んだ私たちは、その夜遅くまで語らっていたのだった。


                                


                                       19 February, 2006
                    
NANTA観覧

先日学校の行事の一環で韓国の有名なパフォーマンス公演NANTAを観覧しに大学路へ行って来た。このNANTAは、韓国の観光についての情報検索をすれば必ずといっていいほど紹介されているエンターテインメントであり、韓国の観光の目玉の十選にあげられるほど著名なものである。一度は見てみたいと思っていたのだが、実際機会がなかった中で、こうして学校行事で行くことができたのだからとてもお得であった。

NANTAは韓国語で“乱打”を意味するナンタから来ていて、文字通り乱打によリズミカルかつパワフルな公演である。そしてその中で何より忘れてはならないのが、その公演中初めから最後まで飽くことなく繰り広げられる笑いのパフォーマンスである。『笑い』というものは当然ながら文化の影響を強く受ける感情文化的なものであるから、こうして外国で見る非言語パフォーマンスとは一体どうものなのかという期待の中、その幕は上がった。

この公演は非言語公演であるため、どこの国の人も楽しめるようになっている。なので、使われる言語といえばとっても簡単な英語少々のみで、後はすべてリズムと生の音とのパフォーマンスが繰り広げられる。何しろ非言語である中での笑いと音とのパフォーマンスであるため、このNANTAの役者さんのパフォーマンスの素晴らしさといったらなかった。言葉など必要としない程の、表情と、演技と、パフォーマンスとリズム技能といったらいいだろうか、そんな要素がいっぱいに舞台で繰り広げられ、瞬きをする間もないほどなのだ。

出演者は基本的にサムノルリという四人で繰り広げる伝統舞踊のように女性1名を含む4名である。それぞれの役割の中で、料理長と共に、時間までに料理を作り上げて行くという筋書きである。その中で魅せる実に多才な芸とパフォーマンスに、本当に終始笑いと感動しきりである。出演者全員が演技とサムノルリという韓国伝統舞踊、そして歌とかなり多彩な芸を繰り広げる。そして、公演を一貫して何かしら軽快なリズムが刻まれている。それは美しく重奏され、やがては観客を巻き込んで、飲み込むように陽気に響きあう。

そして特筆すべきはその出演者の引き締まった肉体美である。本当に鍛えられていてたくましく、そして美しいのである。何しろ多面的な芸を完璧にこなす役者の皆さまである。実に隙がないほどに鍛え上げられている体からエネルギー一杯にパフォーマンスを繰り出すのだ。その上この上なく面白いのだから、女性ならば誰もが惚れずにはいられないのではないだろうか。私もれなく最後には、いぶし銀な出演者の一人に目がハートになってしまっていた。

そんな風に、公演が始まるや否や一瞬たりとも退屈することなく、終始笑い一杯に観覧できる舞台を初めて観覧したなと思った。生のパフォーマンスで、こうして二時間いっぱい観客すべてを惹き付けるこの公演は、本当に見事である。なにしろ終始声を出して豪快に笑いたくなるほど面白いパフォーマンスに加え、高い芸術性あるショーを楽しめるので、観覧後の気分の爽快具合といったらない。久しぶりにとまらないほど笑って、実も心も満たされた私であった。

そんなわけで、ぜひ韓国へ来る方には一度観覧を薦めたいと思う。何しろこういった公演や演劇で有名な大学路である。まだまだこういった面白い公演があるに違いない。ぜひここにいる間に、もっと観覧しておきたいと思った私である。

NANTAホームページはこちら

http://www.nanta.co.kr/jp/

                              
                                 
 

                                           29 January, 2006
  
              旧正月体験


こちらに来て、初めて旧正月というものを過ごした。今までこういった時期に海外で旧正月の祝いを見たことがなかったので、こうして過ごすことは初めてである。陰暦の元旦である今日、街はすっかり静まり返り、どこも人気がないほどである。いつもは渋滞する風景が当たり前の街路もすべて札幌でよく見かけるような、流れのよい道路状況なのであった。

そんな旧正月、日本では至って普通の週末を過ごしていると思うのだが、やはりこちらでは特別な行事であるようだ。テレビを見れば、すべて正月特番のような番組が放送されていて、出演者も韓服やチマチョゴリを着ている。そして下宿でも、学校行事でも、どこでも、トックッ(お雑煮のような餅汁)が出され、気づけば食生活が餅三昧になってしまっていて太ること必至である。

元旦である今日、下宿のおじさんが朝一番にけたたましくドアをノックしながら、「なつよ〜今日くらいは朝食食べなさ〜い」と叫んでいたので、びっくりして目が覚めた。私にとって、この1月の月末の週末でしかない今日は、当然ながら日本の正月の元旦と同じくらいめでたい日のようである。一瞬何だか1ヶ月前に記憶がフラッシュバックしつつ、否が応でも感じるこの特別な正月気分を、私もじわじわと実感してきたのであった。

食卓には、いつもと違った特別メニューが並んでいて、やはりめでたい感じを覚えさせられる。正月は、日本でも雑煮を食べるように、やはり正月特別メニューとしてトックッを頂いた。「これを食べて皆一歳歳を取るのだよ」と下宿のおばさんが教えてくれたのだが、「じゃあ食べなければ歳を取らなくていいってことにはならないかしらん」なんてことを考えてしまった私である。韓国ではこの元日に、皆数え歳の年齢を一つ取るということなのだ。何だかめでたくない。

その後、友達と連れ立って、南山のふもとにある韓家屋村へと行ってきた。ここでは韓国の伝統的家屋が残る場所で、ここに集まり韓国の伝統的な遊戯をしたり、見学や散策をしたり、また茶を愉しんだりできる場所である。ここで遊ぶ人々を見て、何だか正月気分がより深まった私なのだった。中でも、無料で配られたトックッコーナーには人々が押し寄せ、何だかありえないほどの殺到行列を経験してしまった。何とか早めに行ったお陰で長蛇の列は免れたのだが、何だか韓国人のこういうときの勢いは相変わらず容赦ないと思った。それに負けない私も成長したものである。

そんなこんなでこの中の伝統的遊戯をしてみた中で、このノルティギは楽しいものである。シーソーのように組まれた板の両側に一人づつ乗って、交互にタイミングよくジャンプするとお互いサーカスのように高くジャンプできるという遊びなのである。実は先日、学校の行事でやってみたのだが、やはり難しくて上手くできずに悔しい思いをしたのだった。ここにあったノルティギで改めて挑戦してみた私であるが、やはりいまひとつ上手くできなかった。韓国人のおばさま方は、ここぞとばかりにピョンピョン飛んで、どうだ、とばかりに自慢気に延々と飛び続けていたのが面白かった。

写真は二年前に韓国を訪れた際に、民俗村にてノルティギ初挑戦をしたときの写真である。オッパの容赦ないジャンプに後ろにひっくり返りそうになってかなり焦った私であった。しかし、これは上手いことタイミングを合わせて飛ぶと、ものすごいジャンプができるので面白い。ああ、どうにかこれを上手く飛べるように練習をしてみたい・・・などと密かに意欲を燃やす私なのだった。いつか私もあのおばさま方のように飛んで見せるわ。そんなわけで、旧正月を韓国の伝統文化体験の一日として過ごした私だった。



                        
                                           22 January, 2006

   
             勉学の友                
    

私が韓国に来るにあたって、ホームシックを少しでも和らぐようにと、それは工夫して持ってきたものがいくつかある。それはお菓子であったり、飲み物のモトであったり、本であったり色々・・・。皆さんご存知のように、お隣韓国では日本ときわめて似ている文化の中で微妙な差異があるものなので、他国のように、大きく違っていれば諦められるものの、似ているからこそ、思い出され、その違いを惜しく思うような場面に出くわすことも少なくない。

例えばお菓子で言えば、『ポッキー』に似た『ペペロ』というものがある。パッケージも赤で菓子自体もプリッツェルにチョコがついたあの様相なのだが、実際の味はというと、私が日本でなじんでいたものとは違う何かに気づいてしまう。そして『ハイチュー』と似たような『マイチュー』というチューイングガムがあるのだが、実際値段は半額なのだが、ハイチューのそれに違いない代物である。菓子マニアの私としては、そんな違いを発見するのを愉しみながらも、実際お金を出して買ったことがない。友達に貰ったものを口にして、こうも似ていながら違いに落胆する経験はしたくないと思ったからである。

そんなわけで、もともと日本と比べ随分菓子の種類の少ない韓国で、そのストレスを緩和させるために、私は日本でかなりに菓子を買いだめしてきたのであった。持って行くための菓子を買出しに行った位である。本当に日本の菓子ほど繊細で絶妙で味わい深いものは、海外どこへ行ってもないだろう。チョコレートに至っては、バレンタイン等で女性が本命男性にあげるというゴディヴァよりも、空港の免税店によくまとめ売りされているマカダミアチョコなんかよりも、ずっとずっと美味しいチョコがコンビニ等で手軽に買えて美味しいと私は思っている。そんなわけで、私にとってストレス発散のモトであり、勉学の友であるチョコレート菓子をわんさかスーツケースに入れて持参した私なのであった。

ちなみに私は、あの氷川きよしのCMも懐かしい『黒豆ココア』も持参してきた。これはやはり健康のためであり、牛乳を美味しく飲むには最適と思ったからなのである。そう、こちらへ来て、コーヒー牛乳を造ったり、黒豆ココアを作ったりと、大いに牛乳を買って飲み物をアレンジして飲んでいるのだが、思うに、飲料等を取ってみても、日本は本当に美味しいものが多いなと実感せずにはいられない。やはり長年慣れてきたものがあるとはいえ、そんなところにも日本の職人芸を感じずにはいられないのだ。

こちらで牛乳といえば、日本で『おいしい牛乳』があるように『マシインヌンウユ(おいしい牛乳)』というパッケージも似た牛乳があってついつい買ってしまっている。味は確かに美味しいので不満はないが。また日本の『AMINO SUPLI(アミノサプリ)』に味もパッケージもそっくりな『AMINO UP(アミノアップ)』という飲料もあるが、これはSUPLIの”S”と”LI”を取っただけではないのかしら?と思いながらも、やはり味も似ていて驚く代物である。日本のおばさまに人気のクォン・サンウが「アミノアップ!」と威勢よくCMしているのが面白い。 

そんな中、私はその中にアルコール瓶一品をもしたためた。私の大好きなリキュールであるアイルランドのお酒、『ベイリーズ』である。本来は大瓶を買いたかったのだが、重いため、あえなく小瓶のこれを買った。これはとってもお手軽なリキュールで、私はこれにミルクを混ぜてベイリーズミルクにして飲むのが大好きであり、それが最高の楽しみなのである。これで一杯ミルクと共に飲めば、その風味だけで満足でき、気分よく眠りにつくことができるような気がする。この何ともクリーミーで風味豊かなベイリーズミルクは、私が一番お気に入りのカクテルなのである。

ビールや焼酎を一人で買って飲むには何だか寂しく感じてしまうものを、このベイリーズは何とも自然におしゃれに一人酒の時間を演出してくれるのだから不思議である。ちびちび飲むのは何だか密やかで楽しいものだ・・・などと思いながらこのベイリーズミルクを傾ける私はちょっとおかしいだろうか。ともあれこうして美味しく牛乳も摂取しているのだから、健康的だとも言えるだろう。ああ、小瓶が切れたらどこで購入できるかしら。早くも心配なほど、この一人晩酌の時間が何より楽しみな近頃の私なのである。

                           

                                           21 January, 2006

                
  63ビルディングへ


この日、ソウルへ来て以来なかなか会うこともできずにいたオッパと久々に再会し、たまには市内観光をと、私のリクエストでソウルはヨイドへある63ビルディングへを訪れたのだった。ここはその名の通り、63階(地上60階、地下3階)あるというビルであり、ソウルを二分する漢江をたもとに、ソウルを悠に見渡せるランドマークタワーである。天気が良いときは、遠くインチョンなども望むことができるという、地上約250メートルのビルなのであった。

ヨイドヘ地下鉄を乗って移動する間、海外医学誌へ応募する論文を日々執筆中のオッパと、英語の表現について色々ディスカッションしていたら面白かった。私は専門ではないながら、大学時代にあくせくと英語で執筆した卒業論文を思い出しながら、表現について、ああでもないこうでもないなどと話していたら駅を乗り越しそうになるほどだった。お互い控えめながら頑固な主張があるようで面白かった。

一度は訪れてみたいと思いつつ、なかなかその機会もない場所であったが、こうして訪れてみると、それは望む価値があるなぁと思えるほどに、美しい夜景を望むことができる場所であった。地下鉄の駅を降り立つと、やや離れたところにこのビルは見えるのだが、近づくにつれその高さに驚いた。そして歩きながら首を90度に曲げて眺めていたりしたので、頭が痛くなったほどである。

オッパもその昔幼稚園時に初めて訪れた際、ただ何も考えずに連れられて行き、気づくとこのビルの前に来ていたとき、その大きさに本当に驚いたものだと言っていた。そして歳を取った今でも十分に感心する大きさのようだった。しかし、二人とも一致したのは、このビルのようにいくら見晴らしが良くとも、何十階というような高いところへ仕事などで常時いたいとは思わないということだった。高所というものは何だか落ち着かなく、また毎日高速エレベータで何十階へと行き来するのはどうにもいいものだとは思えない。高所恐怖症などではないのだが、やはり地上が一番いいものだ、などと痛く実感してしまうのだった。

展望階へと登るエレベータはものすごいスピードでスリリングであった。韓国映画『B型の彼氏』で、このエレベータでスーパーマンの飛ぶ姿を真似て愉しむいかにもB型男性らしい場面があったのだが、この外の風景の見渡せるエレベータに実際乗ってみれば、本当にまるで飛んでいるような快感を覚えられるのではないだろうかと思った。しかし、そのときは他に人が乗っていたので、B型のオッパは話をするだけで実行はしなかったので安心した私だった。

展望階からは、秀美な景色を四方に望むことができる。河沿いの道路は車がひしめき合いながらゆっくりと移動していて、また北部の古く歴史ある地域は複雑な道路が形成するソウルの街の様子を静かに光りあわらし、またこのビルのあるヨイドやカンナム地域は整然とした高層ビルが立ち並ぶ近代都市の灯りが煌々と光っているのが見えるのだった。事実、このビルは最寄地下鉄から少々距離がある場所であり、周囲は賑やかな雰囲気はあまりない程、まだ開発の余地を見て取れる地域でもある。

いつしか私にとって、こうして身近な都市になったソウルであるが、実に色々な出会いと記憶と学びを得たなと実感するばかりである。こうして高所に登ると、様々な思いに捉われるから不思議であった。今までこうしてタワーに上ったことは一度や二度ではないが、世界各国で眺めたことを思い出しては感慨に浸り、記憶を静かにたどりたくなるような心境で、何も大きく変わらない、ただそこにある夜景を見つめるのみであった。二人とも思い思いに、静かにこの風景を眺めていた。オッパは、「ヨイドの方角の風景が、まるでニューヨークでエンパイアステートビルディングから見たマンハッタンの風景に似ている」と言っていたが、私もそういわれてふと思い出した。

歳をとって、飛行機などから眼下の景色を見ることに慣れてしまうと、こういう高所へと来て望む風景に大きな感動に麻痺してきてしまうこともある。しかしいつまでも、その景色は平和に広がっていることを確認できたことがなんだか嬉しい時間だった。

                           

                                          16 January, 2006

                      
新年を迎えて

実はもう新年を迎えて久しい今日この頃なのだが、今のうちにまとめておけることは整理しておこうと、いまさらまるで年末時の繁忙状態を経験している。実はこの年末年始は何だかんだと忙しく、忙しなく過ごしていた私だった。といっても実質時間に追われていたというより、どこか精神的に落ち着くことができずに、いつも浮き足立ってしまい、あれもこれもせねばという気持ちだけが競っている状態だった。何というか、年齢という期限のようなものにどこか追いただされているような切迫感を感じながら、先々の決定をしてゆかなければならないという状態であまりに余裕がなかったのだった。

しかしそんなわけで、今現在自分のしておきたいことを熟考した結果、現在再びソウルに来たのだった。自分の中で、趣味程度にとどめておきたくなかった韓国語をもう少し形にしたいと思ったこと、それから今の自分の猶予期間の中でしておきたい勉強に集中したかったことが理由である。この年齢でこうして勉強に専念できるなんて本当に幸せな身であると感じるし、いつもそんな私を暖かく支えてくれる家族や皆様にに感謝の気持ちでいっぱいである。

色んな状況の中でも、こうして自分が目指している方向へと着実に向かえていることが何より自分にとっては幸せなことである。やはり誰しもがそうだと思うのだが、いつでも自分の方向性を見極めてそれに向かって突き進むことほど人生の生きがを感じられる時はないだろうと思う。それはどんな方のどんな場面においてもそうだと思う。女性にとって人生の中で、素敵な旦那様に出会い、その男性と家庭を築き、家族を守って行くこと、仕事に邁進し、日々やりがいある業務をこなしてゆくことなどその姿は様々である。その生きがいの元で、それぞれの女性に幸せな姿があるものだ。人生いろいろ、と歌いたいほどに。

こうして年末年始、まあそれに関わらずなのだが、感じたことは人生とは常に迷いの繰り返しということである。人生のどの時期においても、常に不安は隣り合わせであり、どの道を歩んで行くかの迷いの繰り返しであり、それは生ある限りつきまとうものなのだということだ。ひとやま超えて安心したのは束の間、また新たな山が目の前に立ちはだかる、生きるということは当然のことながら、そういうことなのだなぁとしみじみ感じてしまった。

そんな風にしていつにも増してふと思索に没頭していた私は、こちらに来てとある日、ミョンドンにある占いへと向かったのだった。実は私にとって、新年の事始の一環として、こうして占いをするということが恒例になっているのだ。今回どうにも札幌で行けなかった為、またそろそろ韓国語も以前よりは上達を感じる頃であるので、こうしてソウルはミョンドンの占いを力試し的に受けてみようなんぞと思い立ち、早速向かったのであった。

それにしても、本当に占いを外国で受けるのは面白いと思う。日本で言われたこととも、シドニーで言われたことも、ソウルで言われたことも大抵似ているので、自分のなかで信憑性が俄然高まってゆくものなのだ。何というか、どこへでも同じことを言われることで、自分というものを客観視された結果に実感を持つことができる。この日の占い師さんの言葉、実は私の中で理解度が80%程度だったのだが、大体において、今年の運勢が分かったのでまずは一安心なのであった。私にとって、こういう思い込みのような安心感は強いお守りのような効果がある。人の発言がものすごく人に影響を与えることだってあるものなのである。

そんなわけで、ともかくも始まった韓国生活。そしてこの一年、自分の幸運を期待しつつ、皆様の健康と飛躍を心からお祈りしております。皆様本年もどうぞお付き合い願います。