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                                   06 October, 2007
               
二十代のおわりに

しばらくここをアップデートすることなく、めくるめく時が流れてしまった。実際はそんないとまも物理的にはあったというのに、何だか精神的にはなかったため、気付けばこの時期になっていた。

そもそも現在は東京で学生生活をし、大学院に通う毎日なのだが、入学してからしばらくは、多くの不安、不便があり、なかなか精神的な安堵を感じられない日々が続いた。慣れない土地や環境で、愛犬を連れてひとり暮らしを始め、更に自分のキャパシティを越えるようなことを要求されるような学校生活が一気に負いかぶさってきたものだから、4月以降の私は何だかいつもいろんな意味で余裕がなく、疲労感漂っていたと思う。同時に自分がどれだけのものなのか、どれだけ未熟なのかということを思い知った時間でもあった。

常に落ち着かない時間を過ごしながらも、不思議と一度も辛い、やめたい、帰りたいなどと思ったことはない。めまぐるしく過ぎて行く毎日というのは、日々の余計な思考や感情の波を上手い具合に洗い去ってくれるようで、一時の落ち込みすら落ち込んでいる暇もない程、次から次へとイシューを降らせてくる。過去は埋没、とばかりに現時点から見た過去の出来事は存在しないもの、考慮しないもの、としていくようでなければやってゆけないと感じるほどに。そもそも、人間時間を持て余せば余すほど、余計な思考をするものである。今の状態はまたそれで自分にとって幸せなことなのだろう。

そんなこんなで慌ただしく過ごす毎日だったが、ある時大変重要なことに気付いた。何と私の二十代はもう残すところあとわずかなのである。私の人生において一大事である。いつまでも大丈夫だと思って当たり前のように過ごしていた二十代も、その使用期限が迫っているのである。何でも永遠なんてものは存在しない。こんなにも無情に早々と過ぎてゆく時間が憎いほどだ。今後は自分が三十代というカテゴリーに入ってしまうのが何だか悲しい。別に老いを感じてしまうのが嫌だということではなく、10年も馴染んだ二十という数字にお別れしなければならないのが悲しいのである。10年馴染んだものを手放す悲しさったらない。大体30なんてしっくり来ない。私には重過ぎる、よって「丁重にお断りいたします。」などと言って拒否できたらどんなにいいだろうか。

近頃時折ふとこの二十代というものについて、目を細めて遠くを見ながら回顧してしまう。振り返ればそれは色んな経験をし、成長をし、駆け抜けた10年だったなと思う。あんなこともあったし、こんなこともあった。色々なことがあったけれど、どれもすべて貴重な、煌めくような財産であり、私の血となり骨となっていったと今は思う。決してすべてが甘いわけではなく、苦味もあったし、スパイスもあった。いろんな味を知ったからこそ、自分という人間にも幅ができたのではないかと思う。そして数え切れないほどの貴重な出会があって、それはすべて私の中に刻まれるものとなったと同時に、私を更に成長させてくれる糧ともなったと感じる。

それにしても25歳からなんて、本当に「あっ」という間であった。今後それが更に加速度的に早く過ぎてゆき、どんどん年齢を重ねていってしまうのかと思うと何とも恐ろしい。10年が短く感じてしまう。いやはや私ももう四十路行きの列車に乗ってしまうことになるのか、怖い。安室奈美恵が結婚したあの年に成人式を迎えた私も、もう三十路を迎えるのである。しかし、終わりを迎えると同時に、また新たなものが始まってゆく。今後三十代の私の人生にはどんなことが刻まれてゆくのだろう。二十代に別れを告げる名残惜しさを感じると同時に、三十代という新しい世界へ船出する楽しみも感じている。人によってはそんな大げさな、と思うかも知れないが、実は心密かにそんな大きな節目に来ていることを感じている今日この頃なのである。

          
                       
          
  
        
                                    23 March, 2007

               
 しばしのお別れ


今までこの日記には様々なことをあれこれ綴ってきた。今ふと約二年半弱に亘ってかなり気の向くままに記してきたこのDIARYを読み返してみると、今更ながら感慨深く、またその記録に新鮮な感覚を覚えたりと何だか面白い。こんな短期間のことで言うのは正しいのか分からないが、温故知新とでも言おうか。人は常に変化しているんだなと感じてしまう。すべてはこの他でもない、自分の中で起こってきたことであるというのに。

我ながら一貫性があるようでいて、気まぐれで、とらえどころのない自分の変化がこれから更に一体どのように変貌してゆくんだろうか。まだまだ自分でも未知であるから面白い。自分のことすらこれだけ理解しがたいものなのに、他人を理解するだなんて本当に至難の業だろうな、とふと思ってみたりするほどである。

本当に時が経つのは早いもので、それは年齢を重ねるにつれ、加速度を増してゆくようである。それなのに、余計に経験や知識が増すことで時として物事に対して更なる心配や不安を抱いてしまったり、やたらと恐怖感が増してくるので厄介だ。俄然腰が重くなってゆく。実際体力的にもそういう問題はあるのだが、やっぱり精神的にその壁を越えるのは何とも大きな決断のように感じてくる。

それでも年々課されてゆく責任や決断の重要性の度合いが必然的に増してくるのだから、人生楽ではない。こうして誰もが大人への階段を登ってゆくのだな、なんて呑気なことを思ってしまう。思えば私は同世代の方々と比べて、そういった人生の決断場面の経験が少ないなと自覚している。楽な人生を歩んでいるのではないかとふと不安に駆られることも少なくない。これから一体どうなってゆくのだろう。

そんなことを人に話したときに、人生十人十色なのであるから人と比べるなんて意味のないことだと言われて肩の荷が下りる思いをしたことがある。何かの決断をする際、短期的、長期的な視野で見てみると何らかの解決の糸口が見つかるものであるかもしれない。短期的に見るとどんなにか大きな問題であったか知れない事柄も、長期的に見てしまえばほんの小さなものに見えてくるから不思議なのだ。まるで高層ビルの最上階から眼下に広がるビルや人の群れを見下ろすときのように。

そういったことについて熟考を重ねたすえ、私はこの人生のこの時期に大学院進学を決心した。元来それは海外で勉強してみたいと思っていたことでもあったのだが、ある偶然に導かれるように、自分の求める分野、環境、条件を持った場所をより近くで見つけた。決めた以上はもう後戻りは出来ない。今はただ前進するのみである。進んだ先に何が見えるかはこの先の楽しみなのである。新しい生活に慣れ、生活が落ち着いて愛犬を迎えに行くまで、しばしのお別れなのだった。



                       
          
          
                                     23 February, 2007

              
冬来たりなば春遠からじ



久しぶりの日記になってしまった。しばらく自分の中で準備していることがあり、それに追われていたため精神的に余裕がなく、なかなかここをアップデートできずにあっという間の三ヶ月を過ごしてしまった。

思えば札幌に本格的な冬が来てから、私も心はまるでツンドラ地帯と化してしまい、なぜだか無為な思索をしては鬱々としてしまったり、ふと悩みだしてしまったりするような、今思うと生産的ではない時間を過ごすことが多くなってしまっていた。

あれは何だったのだろうか。思えば年齢がひとつ変わってからそうなったような気もする。何を隠そう、私は昨年とうとう29歳になってしまった。この年齢、何とも厄介だなと思う。数字的になんだか中途半端であるし、それは四捨五入などで言えばとっくに明らかなんだが、迫り来る三十路を目前に、何だか二十代に未練がましく居座っているかのような、三十代を受け入れずに粘っている感があるようで何とも居た堪れない。そんなことを言えば世の中多くの同年齢の方々がいらっしゃるというのだが、私の場合、何だかこの数字を受け入れるのに少々時間を要したようである。

この年齢にもなれば、色んな生き方をしている同世代にめぐり合うものである。思えば遠くへ来たもんだ。学生時代は皆ほとんど同じ歩幅で人生歩んでいたのに。この年齢にたどり着くまで、私も色んな経験と考えを得て熟成してきた。考えてみると、人間二十歳を過ぎればほとんど十人十色の人生を歩んでいるといえよう。

多様な経験を積んだからこそ、以前よりも更に人生は面白く感じるし、出会う人々も興味深く感じるし、得られるものも多い。多く経験する分、悩みも同じように増えるけれど、歳を重ねるにつれ多様な対処法や解決法を同時に得られるもので、そんじゃ小さな問題では動じなくなってゆく。当然負う責任も増えてゆく分、それなりの発言力や影響力も自然とついてゆく。人生は本当によく出来ているものだ。

それでも不惑といわれる四十歳まで、現代人に換算して恐らく五十歳あたりまで、人生その迷いの繰り返しなのだろうなと思う。それが生きることなのだと思えば、何もかもがそこまで大きな問題でもないように思えてくるから不思議である。そう、恐れることはない、皆そう生きているのだから。

そんなことをあれこれ考えながら、春の訪れを待つ今日この頃である。